室町時代の山岳寺院、等妙寺旧境内の全体像。下の橋をわたった内側が聖域だったと推定されている。右上が、2067で描いた本堂エリア。中央の谷には階段状削平地が連なり、その多くが石垣で固められていた。中央の削平地には滝や池のある庭園があり、その左側には五輪塔や宝篋印塔の並ぶ墓地空間があった。
室町時代の山岳寺院、等妙寺旧境内の全体像。下の橋をわたった内側が聖域だったと推定されている。右上が、2067で描いた本堂エリア。中央の谷には階段状削平地が連なり、その多くが石垣で固められていた。中央の削平地には滝や池のある庭園があり、その左側には五輪塔や宝篋印塔の並ぶ墓地空間があった。