211 石垣山城建造中 安土桃山時代 考証 西股総生 2011年『歴史群像 106』 豊臣秀吉が小田原攻めの拠点として築城。石垣山一夜城とも呼ばれる。小田原開城の際には、まだ天守や櫓は完成していなかったとの推定で描いた。秀吉の城の場合、通常は瓦葺きに推定する塀なども、板葺きと想定している。 投稿者: さちたろう さちたろう/ かくし絵・迷路絵本&歴史考証イラストレーターの香川元太郎の妻です。 日本画が趣味です。香川GALLERYの管理人です。 さちたろう のすべての投稿を表示