531 王塚古墳

古墳時代 考証 香川元太郎 2002年 『あすなろ書房 衣食住に見る日本人の歴史 1』

古墳時代も後半になってくると、巨大古墳が減る一方、石室を広く作るものが現れてくる。6世紀に作られた王塚古墳は、前方後円墳としても大型だが、代表的な彩色古墳で、広い石室の全面に彩色が施され、幾何学模様などが見られる。イラストは石室前での儀式を想定し、人物の服装は埴輪などからイメージした。

759 遣唐使船

7〜9世紀 考証 香川元太郎 2000年 あすなろ書房 『日本人は水をどのように利用してきたか』

日本の船は、中世まで刳り船を本体とした構造が主流だったが、その構造では船の大きさに限界があり、黄海を渡る遣唐使船は、中国式の唐船(ジャンク)が使われたと推定されている。実際に遣唐使が送られた時代の絵画資料はないが、平安後期以降の絵巻に、唐船が描かれたものが複数ある。イラストは「吉備大臣入唐絵巻」を主な資料とし、石井謙治氏の研究を参考にして描いた。

830 丸子城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

静岡市の西部に遺構がある山城。元は今川氏の城だが、武田氏が駿河に侵攻した際、前線の拠点として改修した。二重の横堀や丸馬出など、発達した武田流の築城術を駆使した城とされる。

831 浄福寺城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

八王子市郊外、八王子城の北に城址がある山城。もともと、国人領主の大石氏の城で、北条氏が八王子城を築いた際にはその支城として使われたとされる。峻険な痩せ尾根を利用し、堀切と竪堀で防御する古いタイプの山城だが、複数の尾根を取り込んで規模が大きい。

2042 大垣城鳥瞰

江戸時代 考証 大垣市教育委員会 2020年 岐阜県大垣市蔵

大垣城は豊富な水を利用した平城で、戦国時代から地域の戦略拠点となっており、関ヶ原合戦では西軍の本陣となった。イラストは江戸時代の大垣城の全体像。江戸時代の間にも御殿の位置は変遷があり、城の櫓は減っていく一方、城下町は広がっていく。イラストは正保城絵図を中心資料としながら、複数の絵図からも情報を読み取り、大垣城が最も充実した状態を描いた。

2043 大垣城天守断面

江戸時代 考証 大垣市教育委員会 2020年 岐阜県大垣市蔵

大垣城天守は、4階建てで、複数の復興天守や模擬天守でモデルに使われている。太平洋戦争の際に焼失したが、それ以前の調査図面や写真が残されており、その記録から描いた。復元したのは焼失前の天守であり、江戸時代には右側に多門櫓が続いていたと思われる。

510 武士の館

鎌倉時代 考証 平井聖 2001年 歴史群像シリーズ 64『北条時宗』

鎌倉~室町前期の典型的な武士の館を、複数の絵巻物(男衾三郎絵巻・一遍上人絵伝・粉河寺縁起絵巻・法然上人絵伝)を資料にして描いた。北側に奥向きの建物があったり、主殿に廊下が付き出して入り口になるのは、寝殿造りのスタイルが応用されたと考えられている。
館の前面の掘割や、舞台上の櫓が載る門は絵巻に見られるが、土塁を描いたものはなく、まだ本格的な防御施設ではなかったと考えられる。

455 吉原

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 東京堂出版 『分解図鑑 日本の建造物』

吉原の典型的な店の内部。2階建てで、道路に面した表の建物と、奥の建物が廊下で結ばれ、間に中庭がある造り。イラスト右下側が1階、左上側が2階を描いている。暖簾が下がるのが入口で、その脇の部屋は、外から格子越しに中の女郎を見ることができた。

449 湯屋

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年 あすなろ書房『日本人は水をどのように利用してきたか』

江戸時代に都市部で、湯屋(公衆浴場)が登場する。手前に洗い場があり、「ざくろ口」と呼ばれる低い入り口を潜って奥の浴槽に入る。初めは混浴だったが、幕府の指導によって男女別浴のスタイルになった。 しかし地域差があり、江戸の湯屋は入り口から別だが、上方の湯屋(左上)は浴槽のみ別で、洗い場は共有が普通だった。江戸の湯屋では男湯のみ2階があり、娯楽や交友の場になることが多かった。

448 下級武士の屋敷

江戸時代 考証 香川元太郎 2006年 朝日新聞社 『藤沢周平の世界01蝉しぐれ』

藤沢周平の小説「蝉しぐれ」の主人公が暮らす普請組屋敷を、小説の描写をもとに描いた。小説のモデルとなったのは鶴岡藩だが、同じ造りの家が並ぶ組屋敷のスタイルは、全国多くの城下町で、下級武士の家に使われていた。小説では、禄高が低いわりに敷地面積が広く、畑のスペースもある設定となっている。

456 京都所司代

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社

江戸時代の京都所司代を西から見ている。所司代は京都の治安維持のために幕府が設けた役職と、その役所。想定は幕末なので、町屋も含めて瓦葺きが多くなっている。手前は二条城で、当時あった火見櫓状の櫓も描いた。

766 タイムトラベル 中世博多

室町時代 考証 2005年 帝国書院 中学社会科教科書

室町時代から戦国前期頃にかけての街の様子を総合的に描いたもの。中世の絵巻物や、古い洛中洛外図などを資料に、当時の様々な風俗を描いた。博多の設定なので、遠景には室町時代の回船、軍船、中国船も見せている。

769 タイムトラベル 江戸時代

江戸時代 2005年 帝国書院 中学社会科教科書

江戸時代(江戸後期)の街の様々な要素を盛り込んでいる。埋め立てや運河の開削などで開発された 江戸の海浜地帯には、商家や倉が立ち並び、廻船からの荷物を運ぶ小船などがひしめいていた。路上で商売をする振り売りや屋台、大道芸人など、様々な人物も表現し、遠景の橋には大名行列も描き入れている。

849 九戸城

安土桃山時代 考証 三島正弘 2019年 『歴史群像 158 12月号』

豊臣秀吉が奥羽仕置を実施した際に、九戸政実 が反旗を翻した乱で、 政実が籠った城として知られる。その後、蒲生氏郷が改修して本丸を石垣造りにした。蒲生氏の改修後、南部氏が入って、松の丸に御殿を設けた。
台地上に、堀で区画された曲輪が配されるが、それぞれの曲輪の独立性が強い。右下の2つの曲輪も、戦国期にはそれぞれの曲輪を守る武将の屋敷があったと推定される。

850 周山城

安土桃山時代 考証 堀口健弐  2020年 『歴史群像 159 2月号』

明智光秀が洛北に築いた大規模な山城。山頂部の主郭を中心に、尾根上に曲輪を伸ばして放射状の縄張りになる所や、尾根の延長上に出城を設けるところなどは戦国の山城的。だが、中心部は総石垣で天守台も残されている。
光秀の城は公園化されたものも多いが、 周山城は手つかずで「山奥に潜む謎の城」とイメージされている。