324 根小屋城

戦国時代 考証 樋口隆晴 2005年 『歴史群像 71 6月号』

高崎市郊外の山城。
文献や伝承もほとんどない無名の城だが、城址の縄張りから、武田流築城の典型と評価してイラスト化した。

799 岩櫃城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

真田昌幸の居城だった岩櫃城の中心部を見る。
最近の発掘調査で、大規模な堀の構造や、本丸の導入経路などが明らかになっており、それを反映させて描いた。

278 岩櫃城

戦国時代 考証 三島正之 2005年 『歴史群像 10月号』

真田昌幸が武田氏の配下だった時期の居城。
背後に急峻な岩山を控え、その絶景でも知られている。
山上に城下集落も造られていた。

233 名胡桃城

戦国時代 考証 西股総生  2004年 『歴史群像 67 10月号』

真田氏の支城で、左上遠方に本城の沼田城がある。
北条氏が名胡桃城を奪取した事件が、豊臣秀吉の小田原攻めの契機となったことでも知られている。

318 小幡城

戦国時代 考証 三島正之 2013年 『歴史群像 120  8月号』

迷路のように張り巡らされた巨大な空堀が特徴的。
江戸氏配下の小幡氏の居城だが、大規模な構造から、戦国末期に佐竹氏の手が入ったと想像される。

306 塙城

戦国時代 考証 西股総生 2009年  『歴史群像 98 12月号』

文献には全く資料のない城で、城跡の遺構をもとに推定復元。
中央の低地を丘陵部が囲み、ジグザグ状の二重堀を巡らせるなど、個性的な構造が注目される。

213 笠間城

安土桃山時代 考証 三島正之 2012年 『歴史群像 113  6月号』

中世、戦国時代から笠間氏の居城だったが、その後蒲生郷成が改修。
戦国山城の主要部を織豊城郭に変えた構造。
幕末まで笠間藩が置かれ、江戸時代の城としては大変個性的な存在だった。

804 唐沢山城

安土桃山時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

国人領主だった佐野氏の城で、北関東を代表する石垣造りの山城。
上杉謙信の攻撃を何度も退けた堅城。現在、本丸は唐沢山神社となる。

326 独鈷山城

室町時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社 『日本の城』

南北朝から室町前期の築城。
全国に無数に造られた小規模山城のひとつ。
建物は全て発掘成果から推定しているが、現在は開発によって遺構は全て失われている。

280 川連城

戦国時代 考証 香川元太郎 1993年 『学研『戦国の城-総説編』 

川連城(かわつれじょう)は、川連氏が築城し、皆川氏の配下となった戦国城郭。
戦国時代の平城の好例。
その縄張から、当初は方形館として築城され、その周りに曲輪を増設して拡大したことが想像される。

224  多気山城

戦国時代 考証 三島正之 2006年 『歴史群像 80 12月号』

関東最大級の山城。
宇都宮氏が北条氏に対抗するために築き、宇都宮氏の居城となったが、北条氏滅亡後、宇都宮城に本拠が戻された。

791 鴨ヶ嶽城

戦国時代 考証 樋口隆晴 2016年 『歴史群像 137 6月号』

中野市の戦国城郭で、高梨氏が築城。
平地の城(高梨氏館)と山城がセットになっているパターン。
鴨ヶ嶽城は山の尾根に曲輪を並べた連郭式の縄張りで、その点でも戦国時代の典型的な城の形を見ることができる。

790 丸子城

戦国時代 考証 三島正之 2016年 『歴史群像 136 4月号』

上田市の郊外、南の谷に築かれた城で、背後の根場城・鳥屋城など、複数の山城が連携する構えとなっていた。
第一次上田合戦の際、これら真田氏の支城が徳川軍を翻弄したと言われる。

550 善光寺

現在 考証 吉澤政己 2003年 朝日ビジュアルシリーズ『週間日本遺産 24善光寺』

独特の歴史を持つ寺で、本堂の形式も他に類を見ない。
現本堂は江戸中期の建築で、巨大な吹き抜け空間を持つ。

836 大島城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

伊那大島城、別名「台城」(だいじょう)とも呼ばれる。
台地の先端を利用した戦国城郭で、武田氏の重要拠点だった。
特徴的な二重の丸馬出は、武田氏の後に城を支配した徳川家康によるものという説もある。
313より俯瞰で描いた。