燧ケ城(ひうちがじょう)は、源氏と平氏が争った平安末期の山城。
シンプルな痩せ尾根上の山城で、北陸の反平氏勢力が篭り、麓の川をせき止めて水堀にしたとされる。
平維盛を大将とする平氏が、堀の堰を壊して城を攻め落とした。
投稿者: さちたろう
267 一乗谷城
戦国大名朝倉氏の本拠地。
上木戸、下木戸に挟まれた谷の中に、朝倉氏館を始めとする武家屋敷や寺院、町屋が混在する都市が広がっていた。
東の山上には山城が築かれている。
265のイラストでは、西の尾根にも出城が連続すると考証しているが、ここでは表現していない。
265 一乗谷城
戦国大名朝倉氏の本拠。
一乗谷山城や朝倉館をはじめ、館や城が点在し、谷全体を守る惣構が形成されていた。
城下集落跡では、家臣の屋敷のほか町屋も多く発掘されて、戦国時代の生活を知る貴重な資料となっている。
202 北ノ庄城
柴田勝家の居城で、織田家の筆頭家老にふさわしい壮大な天守があったというが、秀吉に攻められ落城した。
城跡は後に福井城となったため、当時の状況には不明点が多い。
171 丸岡城天守
丸岡城は小規模だが天守が現存し、最も古い天守と言われていた。
調査の結果、最古ではないことが分かったが、古い天守の形を伝えるものと考えられている。
屋根は珍しい石瓦葺で、当初はこけら葺だった可能性もある。
かつては入り口の石段に踊り場があったと推定されており、これを復元して描いた。
327 丸岡城屋根説明図
丸岡城天守最上階の屋根をモデルにした説明図。
左はこけら葺き、中央が現状の石瓦葺、右は通常の瓦の場合を想定して描いている。
2008 切山城
豊臣秀吉と徳川家康が争った小牧・長久手の合戦当時、加賀(石川)と越中(富山)を結ぶ街道に、前田氏によって築城されたと推定される。
当時、加賀の前田利家は秀吉に付いたが、越中の佐々成政は家康に付いて、対立した。
同じ街道の佐々領側に築かれた松根城に対して、切山城は街道の前田領側を封鎖するように造られている。
土の城ながら、主郭には織豊的な構造が見られる。
2016 松根城
佐々成政が築いた国境要塞で、小牧・長久手合戦当時、前田利家に対抗して築城された。
イラストとしては先に308を描いていたが、これと少し角度を変え、新しい調査成果を反映させて描いた。
新しい発掘調査では、堀や切岸が街道を完全に断ち切って築かれたことがわかった。
308 松根城
越中の佐々成政による国境要塞。
小牧・長久手合戦当時、加賀の前田利家に対抗して築城されたが、前田方の攻撃によって落城した。
2016のイラストより先に描いたもので、城に対する街道の通り方は、発掘調査以前の推定。
188 金沢城 御三階櫓
金沢城には当初、五層天守があったとされるが、それが失われた後、天守の代用として建てられた。
外観は立面図が残されており、それに基づいて描いている。
全体のバランスが、戦前まで存在した水戸城御三階櫓に似ており、この櫓と同様に内部は5階建てだったと考えられる。
175 金沢城
加賀百万石の城で、複数の櫓や門が現存するほか、中央部の壮大な二階建て多門櫓も復元されている。
イラストは創建時を想定しており、後に海鼠壁となる壁面は、下見板張りに描いている。
当時は五層天守があったとされる。
2017 増山城
砺波市にある戦国時代の山城。
神保氏が上杉謙信相手に激しい籠城戦を繰り広げ、その攻撃を退けたことで知られる。
その後も戦場になるなど越中の重要拠点で、増築が繰り返され、大城郭に成長したと思われる。
287 松倉城
増山城と並んで富山県を代表する山城。
椎名氏の城だったが、上杉謙信に責められて落城。
その後、上杉景勝が織田信長の侵攻に対抗するため整備し、何度も争奪の的となった。
遠景左の港町が魚津で、松倉城の廃城後、地域の中心は魚津に移行した。
204 高岡城
江戸初期に前田利長が築城。
一国一城令によって廃城となったが、現在も堀が残されている。
土塁の城ながら、全ての曲輪に多門櫓を巡らせる構造は圧巻。
支城とは思えない重厚な造りに、加賀前田氏の力が伺える。
2007 加茂山城
要害山城(左)を中心に、2つの出城を繋いだ山城。
上杉氏の重要な支城で、太田氏が在城したとされるが、歴史的には不明点も多い。
神社が持っていた城という説もある。
300 荒砥城
上杉氏による国境要塞。
コンパクトに設計され、虎口の防御プランや畝堀に特徴がある。