上杉謙信の本城で、戦国時代の山城の中でも特に有名。
増設を繰り返して山全体が城となった大城郭。
投稿者: さちたろう
250 御館の乱
御館の乱(おたてのらん)は上杉謙信没後、その跡目争いから起こった戦い。
直江兼続が支えた上杉景勝は、画面右上の春日山城を抑え、左下の御館に拠った上杉景虎に勝利して、上杉家の当主となった。
240 栃尾城
新潟県の代表的な山城の一つ。
上杉謙信はこの城で初陣を飾り、幼少期を過ごした。御館の乱でも、戦場となって落城している。
182 新発田城
新発田城の御三階櫓(天守)は、L字型の平面を持つ独特の建物。
金沢城に似た海鼠壁も使われていた。
現在は、城址に復元されている。
353 多賀城鳥瞰
奈良・平安時代、朝廷は東北地方に権力を伸ばしていったが、その過程で設けた城を「城柵」と呼ぶ。
多賀城は、朝廷の東北進出の初期に、拠点の城柵となっていた。
広く四角い外壁をめぐらせ中央に政庁を置く、城柵の典型的な形。
346 多賀城 城壁と櫓
城柵の城壁は、乾いた地面には版築の築地、湿地では材木塀を使う例が多い。
築地には瓦屋根をかけ、所によって舞台状の櫓もあったと推定されている。
145 仙台城 本丸御殿
仙台城の御殿は、全国の城の中でも、江戸城や名古屋城に次ぐ豪華なもので、上々段の間もあり、将軍や天皇を迎える格式を備えていた。
手前は断崖にせり出すように建てられた「掛屋御殿」。
平面図のほか、要所は立面図も残されており、精度の高い復元ができる。
144 仙台城大手門
仙台城二の丸の入口となる門で、極めて規模の大きい二階門。
江戸時代の城郭建築としては古風な真壁造り(柱が見える)で、肥前名護屋城の大手門を移築したとの伝承がある。
第二次大戦の空襲で焼失。
143 仙台城
仙台城は東北の雄藩・伊達氏の城で、「青葉城」の別名でも知られる。
戦国的な断崖上の本丸に、近世城郭の櫓が立ち並ぶ。
天守台もあるが、天守は立てられなかった。
二の丸が本丸から遠く離れるなど、それぞれの曲輪の独立性が強いところも個性的。
753 酒田港
酒田は最上川河口の港。
江戸時代には北前船の中心基地で、東北一の港として栄えた。
イラストは帆を下ろして停泊する北前船を中心に描き、奥に酒田の街を見せた。
312 長谷堂城の戦い
長谷堂城は最上氏の重要な支城。関ヶ原の戦いに連動した慶長出羽合戦で、直江兼続率いる上杉軍の猛攻を受けた。
しかし城は持ちこたえ、関ヶ原での西軍敗戦の報を受けた上杉軍は撤退した。
259 長谷堂城
山形城の郊外に位置する最上氏の支城で、戦国時代には伊達氏との攻防の焦点になった。
もともと山城だが、慶長期には惣構えの堀を持つ平山城的な縄張りとなる。
慶長出羽合戦では、総構えの力で上杉軍を退けたと推定されている。
243 舘山城
伊達氏が築城し、後世の米沢城が築城される以前、ここが伊達氏の本拠だったとの推定による復元。
米沢市の西側の郊外、鬼面川と大樽川の合流地に城跡がある。
若き伊達正宗も居城とし、ここが会津侵攻などの拠点になったと思われる。
241 畑谷城
山形城を本拠とした最上氏が、上杉氏、伊達氏に対する最前基地として整備。
関ヶ原合戦直前に起きた慶長出羽合戦で、上杉軍(直江兼続)の攻撃を受け、激戦の末、落城した。
142 米沢城下
上杉氏の城と城下町。
上杉景勝は会津で120万石を領する大大名だったが、関ヶ原合戦で西軍側についた責を問われ、米沢30万石に改易された。
小さめの城に対して城下町が大きく広がるのは、石高を減らされても家臣を解雇せずに抱え続けたためという。