江戸時代の典型的な歌舞伎小屋の内部を、複数のパーツに分解して描いた。歌舞伎小屋は、能舞台から発達し、江戸時代の間に独自のスタイルを作り上げた。回り舞台(盆)は、地下(奈落)で人が押して回す仕掛けで、花道のセリも人力のエレベーター。舞台の天井からは、雪などを振らせることができる。2階に桟敷を回した客席の大空間、楽屋(手前側)の様子など、歌舞伎小屋の面白さを見せるよう工夫した。
カテゴリー: その他
474 中世農村
鎌倉時代~室町時代の農村。左側は田植え風景で、右側は稲が実っている。水田は、まず谷戸の小川が利用されることが多い。左上に見せた平野部は灌漑用水を開削したり、大きい川に堤防を造って氾濫を防いだりする必要があるので、まだ未開発。田楽の様子や案山子、鳴子などは絵巻物を資料にして描いている。
501 寝殿造
「源氏物語」などを資料に、特に大規模な貴族の屋敷の典型的な形を示した。
南に面した寝殿を中心として、プライベート空間の「北の対」をはじめ、「西の対」「東の対」、さらに釣殿も2つ備えた左右対称のプランが典型的とされる。しかし、発掘調査その他の資料からの推定では、実際には釣殿が一つのものが多かったようだ。対の屋と釣り殿を繋ぐのが「中門廊」で、中門が屋敷内部への入り口となる。
528 前方後円墳
典型的な前方後円墳の構造を、模式的に描いた。墳丘は版築状に土を突き固めて盛り上げられ、表面には、丸みのある川原石を貼り付ける「葺石」が施されることが多い。石棺の形式にはいろいろな種類があり、時代によっても異なる。石棺が納められる場所も時代による変化があるが、巨大古墳の全盛期には後円部の頂上が多かったと考えられる。
759 遣唐使船
日本の船は、中世まで刳り船を本体とした構造が主流だったが、その構造では船の大きさに限界があり、黄海を渡る遣唐使船は、中国式の唐船(ジャンク)が使われたと推定されている。実際に遣唐使が送られた時代の絵画資料はないが、平安後期以降の絵巻に、唐船が描かれたものが複数ある。イラストは「吉備大臣入唐絵巻」を主な資料とし、石井謙治氏の研究を参考にして描いた。
510 武士の館
鎌倉~室町前期の典型的な武士の館を、複数の絵巻物(男衾三郎絵巻・一遍上人絵伝・粉河寺縁起絵巻・法然上人絵伝)を資料にして描いた。北側に奥向きの建物があったり、主殿に廊下が付き出して入り口になるのは、寝殿造りのスタイルが応用されたと考えられている。
館の前面の掘割や、舞台上の櫓が載る門は絵巻に見られるが、土塁を描いたものはなく、まだ本格的な防御施設ではなかったと考えられる。
448 下級武士の屋敷
藤沢周平の小説「蝉しぐれ」の主人公が暮らす普請組屋敷を、小説の描写をもとに描いた。小説のモデルとなったのは鶴岡藩だが、同じ造りの家が並ぶ組屋敷のスタイルは、全国多くの城下町で、下級武士の家に使われていた。小説では、禄高が低いわりに敷地面積が広く、畑のスペースもある設定となっている。
2041 山城模式図
戦国時代の山城を説明するために描いた架空の城。普請の要素として、堀切、竪堀、横堀、畝状竪堀、障子堀、水堀、切岸、土塁、小規模な石垣、土橋などを描いた。縄張りの要素として、矢倉台、枡形虎口、食い違い虎口、馬出、馬場、御花畑、総構えなどのほか、山上の磐座、尾根伝いの抜け道や、階段状になった三日月型削平地など、山城ならではの要素も盛り込んだ。
柵、乱杭、逆茂木、門、矢倉、蔵、城主の館、武家屋敷や寺、町屋などの建物も戦国時代を想定しており、船で攻めてきた敵や後詰の軍勢、狼煙なども描いている。
387 城の構成要素
近世の城を説明するために描いた架空の城。
普請の要素として、空堀、水堀、土塁、石垣、馬出、枡形、土橋、大手と搦手、横矢がかり、鬼門除けの入隅などを描き、作事の要素として、天守、小天守、隅櫓、多門櫓、渡り櫓門、高麗門、棟門、埋門、冠木門、柵、塀、折塀、 本丸御殿、二の丸御殿、蔵、番所、神社、井戸、木橋などを入れている。
壁も下見板張りと漆喰壁の両方を入れ、狭間や窓、塀の控えなども、色々な種類が入るようにしながら、違和感がないように工夫した。
428 昭和39年10月10日
テレビが普及してきた時代。一般の家族が、お茶の間の白黒テレビで東京オリンピックの開会式を見ている場面を想定。東芝の炊飯器、ナショナルの冷蔵庫、シンガーの足踏みミシンなど、当時を代表する製品も描いた。男の子が持っているのは、後に「プラレール」と名付けられるシリーズ初期の新幹線で、車体の色が決まる前に製品化されたため、赤が配色されている。