弥生時代に多数造られた環濠集落の遺跡の中でも、最も大規模なもの。
時代によって変遷がある。
カテゴリー: 佐賀県
343 基肄城 全体
基肄城は、大宰府の背後を守る古代山城。
大野城とともに、朝鮮式の築城法を導入して造られたことが「日本書紀」にも記されている。
尾根筋に版築土塁の城壁を築き、小川などのある谷には石垣を築くのが古代山城の典型的な形。
古代の大宰府は329など福岡県のページに掲載。
335 基肄城城門
太宰府(福岡県)の背後に築かれた古代山城。
谷の入り口の城門を推定復原。
石垣や、石垣の下から川の水を通すための水路は現在も残っている。
147 名護屋城一帯
肥前名護屋城は、豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵の、日本での本陣となった城。
周辺には、出兵する大名たちがそれぞれに陣城を設け、一大軍事基地が出現した。
半島部を南東から見る。
106 名護屋城
豊臣秀吉が、朝鮮を攻めるための本陣として築城した。
南西から中心部を見る。
建物は「肥前名護屋城屏風」からの推定復元。
147でも別角度から描いている。