38 姫路城内郭

江戸時代 考証 香川元太郎 2003年 朝日ビジュアルシリーズ『週刊日本遺産 姫路城』

姫路城の内堀に囲まれた城の本体部分。
37のイラストと同じ江戸中期の史料を用い、角度を変えて描いた。
建物が現存しれているのは、丘を利用した部分(イラストでは上半分)だけだが、それでも現存建物の数は、他の城に比べて群を抜いている。

37 姫路城 天守断面

江戸時代 考証 香川元太郎 1995年 学研『城郭建築の至宝姫路城』

大天守と3つの小天守を渡り櫓で結ぶ構成は「連立式天守」と呼ばれる。
中庭には2階建ての台所もあり、その構造は極めて複雑。
解体修理報告書と現地取材を資料とした。
香川の城イラストの中でも、最も制作に時間がかかった。

36 姫路城 化粧櫓

江戸時代 考証 香川元太郎 1995年 学研 『城郭建築の至宝姫路城』

西の丸を囲む多門櫓「長局」の最深部にある櫓。
二階は畳や障子が入り、住宅的な造りとなっている。
西の丸は、徳川将軍家から千姫が本多氏に輿入れした際に、整備された。
化粧櫓も、千姫の化粧料で建てられた事から名づけられた。

34 姫路城 塩櫓

江戸時代 考証 香川元太郎 1995年 学研 『城郭建築の至宝姫路城』

天守曲輪の北側に配された多門櫓。
内部に井戸があるなど籠城への備えが見られる。
外観は連続した櫓だが、内部はそれぞれ独立した倉庫。
中央の多門櫓は、塩が蓄えられていたとされ「塩櫓」と呼ばれる。

33 姫路城 菱の門

江戸時代 考証 香川元太郎 1995年 学研 『城郭建築の至宝姫路城』

姫路城の中心部(丘陵部分)の大手門に当たる二階櫓門。
城内側から見ている。
意外にも内部に階段はなく、1階と2階は入り口が別。

49 姫路城天守

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『秀吉の城』

秀吉の居城だった時の姫路城天守イメージ。
当時の姫路城は、現在より戦国的な要素がある織豊城郭と思われる。
姫路城天守を解体修理した際、転用材が発見された。
これを秀吉時代の天守の材と考えて、想像した。

46 姫路城

安土桃山時代 考証 多田暢久 1992年 歴史群像シリーズ『 豪壮秀吉軍団』

羽柴秀吉時代の姫路城を推定。
姫路城はもと黒田官兵衛の城で、秀吉が、信長の下で中国戦線を戦う際、居城として整備した。
当時は丘陵部分のみが城だったと推定される。