
江戸時代初頭に、毛利高政によって築城された近世の山城。
水の手として、2つの大きい池がある事や、本丸の虎口が廊下橋のみであることなどが特徴。
まだ城下町は建設が始まったばかりで、山麓の三の丸も整地前の状況を想定している。
本丸の建物は下見板張りの資料もあるが、創建時には白壁と推定。天守は三層だったとされるが、比較的早くに失われ資料が残っていない。
江戸時代初頭に、毛利高政によって築城された近世の山城。
水の手として、2つの大きい池がある事や、本丸の虎口が廊下橋のみであることなどが特徴。
まだ城下町は建設が始まったばかりで、山麓の三の丸も整地前の状況を想定している。
本丸の建物は下見板張りの資料もあるが、創建時には白壁と推定。天守は三層だったとされるが、比較的早くに失われ資料が残っていない。
別府湾に突き出た半島の丘に木下氏が築城。
3万石ながら、不相応とも言える高石垣や天守を設けていた。
黒田勘兵衛(如水)の居城。中津川河口のデルタ地帯に、三角形の縄張りで築かれた。
後に細川忠興が城を改修したが、イラストは黒田時代を推定復元した。
中川秀成が築城した、近世では珍しい山城。
絶壁上の城址は、滝廉太郎の「荒城の月」のモデルだが、往時は壮大な城が広がっていた。
天守に相当する「御三階櫓」。
平面図とわずかに残る古写真を資料に復元した。