古くから寺院が開かれた信貴山に造られた山城で、松永久秀が本拠とした。
山頂部から延びる尾根上に郭を並べた放射状の縄張り。
229の落城場面と同じ角度から、平常時の姿を想像復元して描いた。
カテゴリー: 奈良県
499 平城京 東市
平城京では中国の都城に倣って、東西に市の区画が作られたが、特に一般庶民も利用する東の市は活況を呈したとされる。奈良時代の市を描いた絵画資料はないので、平安、鎌倉時代の絵巻などを参考に想像した。
遠景に見えるのは東大寺。
757 高松塚古墳
石槨の壁画で知られる終末期古墳。
壁画には、四神・日月・人物像などが描かれている。
イラスト中に集う人物も、壁画の人物に準じた服装で描いた。
547 東大寺
建立時の大仏殿を正面から見る。
このイラストでは、建物のディテールを、当時の大仏殿を描いた唯一の絵画史料「信貴山縁起絵巻」に拠って描いてみた。
546 東大寺大仏殿
大仏と大仏殿は、現在まで何度か被災や改築などを経ている。
イラストは建立された当時の大仏殿を描いており、現在の大仏殿より横幅が広かった。
大仏製造
540 大仏製造①
彫刻家、戸津圭之介氏による鋳造過程の推定。
まず型となる仏像を粘土で作り、漆喰などで完成させる。
内部は空洞で、柱組みで支える。
541 大仏製造②
内型となる仏像が完成したら、外型を作る。
隙間が均等に空くよう、支え(型持ち)を挟みながら、外型を配置する。
542 大仏製造③
盛土の上に炉やたたら(ふいご)を設置し、銅を溶かして1000度くらいの温度にし、樋を使って型の隙間に流し込む。
543 大仏製造④
鋳造が終わったら、上段から順に盛土と外型を取り除く。
銅が流れ込まなかった隙間や、型持ちの穴に銅を流し込む「鋳加え」を行う。
544 大仏製造⑤
本体の鋳造後、台座(蓮華座)の鋳造を行ったと推定。
台座は、現在も奈良時代のものが最も多く残る。
545 大仏製造⑥
塗金を行う。
金と水銀を混ぜたアマルガムを塗り、熱して水銀を蒸発させたと推定。
体への負担が大きい技法だった。
535 大仏鋳造
大仏鋳造の様子を推定復元。
型の間に銅を流し込む作業は、下から何段階にも分けて行われ、盛土を何度も積み上げながら作業が進められた。
この段階では露天状態なので、仮設の覆屋もあったと推定。
534 東大寺 開眼供養
国家的一大事業だった東大寺建立で、最も大きなイベントとなった大仏開眼供養を想像復元。
インドから招いたボジセンナが大仏に目を書き入れる。
その筆に結ばれた長い糸を、多数の要人が握ってその瞬間を共有した。
533 法隆寺
法隆寺が現在の位置に建てられた当時の様子を再現。
金堂、五重塔とも、現在は一階にひさしがあるが、当初はなかったと考えられる。
532 法隆寺五重塔
現存する最古の五重塔内部。
中心の柱は頂上部のみで他の柱組みと繋がっており、途中部分は吹き抜け空間に独立している。
心柱の地下には仏舎利容器が収められている。
530 キトラ古墳
終末期の小規模な円墳。
壁画の発見で一躍脚光を浴びた。
石槨を収めた後の儀式をイメージ復元
498 飛鳥京
板蓋宮と呼ばれた飛鳥京と、その周辺を南から描いた。
右下は石舞台古墳。
山田寺などの古代寺院も見える。
上部の平地には、のちに藤原京が作られるが、この一帯はあまり都には向かない低湿地だった。
420 平城京
平城京と、その周囲を南から描いた。
都城の東隣には東大寺があり、左斜め下の山裾には法隆寺などの寺院が並ぶ一画があった。
229 信貴山城
戦国大名松永久秀の本城。
聖地とされる信貴山の一画に造られた。
信長に攻め落とされる場面を描いている。