422 松島

現代 考証 松本秀明 2003年 朝日ビジュアルシリーズ『週間 日本遺産』43

仙台湾の奥にひときわ入り込んだ松島湾を、ほぼ北から鳥瞰している。復元ではなく現状を描くイラストなので、イラストならではの価値が出るようにと考えた。空撮よりも島の形などが分かりやすく、美しさも出るように、配色に注力している。

353 多賀城鳥瞰

奈良時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

奈良・平安時代、朝廷は東北地方に権力を伸ばしていったが、その過程で設けた城を「城柵」と呼ぶ。
多賀城は、朝廷の東北進出の初期に、拠点の城柵となっていた。
広く四角い外壁をめぐらせ中央に政庁を置く、城柵の典型的な形。

346 多賀城 城壁と櫓

奈良時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

城柵の城壁は、乾いた地面には版築の築地、湿地では材木塀を使う例が多い。
築地には瓦屋根をかけ、所によって舞台状の櫓もあったと推定されている。

145 仙台城 本丸御殿

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

仙台城の御殿は、全国の城の中でも、江戸城や名古屋城に次ぐ豪華なもので、上々段の間もあり、将軍や天皇を迎える格式を備えていた。
手前は断崖にせり出すように建てられた「掛屋御殿」。
平面図のほか、要所は立面図も残されており、精度の高い復元ができる。

144 仙台城大手門

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

仙台城二の丸の入口となる門で、極めて規模の大きい二階門。
江戸時代の城郭建築としては古風な真壁造り(柱が見える)で、肥前名護屋城の大手門を移築したとの伝承がある。
第二次大戦の空襲で焼失。

143 仙台城

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年 PHP研究所 『名城を歩く』21

仙台城は東北の雄藩・伊達氏の城で、「青葉城」の別名でも知られる。
戦国的な断崖上の本丸に、近世城郭の櫓が立ち並ぶ。
天守台もあるが、天守は立てられなかった。
二の丸が本丸から遠く離れるなど、それぞれの曲輪の独立性が強いところも個性的。