都城市を流れる大淀川には、観音瀬(かんのんぜ)と呼ばれる急流があり、河口からさかのぼる船はそこまでしか行けなかったという。江戸中期の藩主・島津久倫は船による物資運搬ができるよう、水路の開削を家臣の藤崎公寛に命ずる。公寛は他藩を視察し、肥後の石工を伴って帰国。水量が減る冬季を中心に、3年がかりで工事を完成させた。
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685 高城 (新納院)
日向には「高城」が複数存在し、区別のために「新納院・高城」とも呼ばれる。
台地先端の要害を利用した城。
大友宗麟と島津氏が激突した第一次高城川(耳川)合戦と、豊臣秀長と島津氏が戦った第二次高城川合戦で、主戦場となる。
いずれも、高城の籠城戦に野戦が加わって大合戦となった。