武田氏の先祖ゆかりの城。
本能寺の変後、旧武田領に侵攻した北条氏と徳川氏が争った天正壬午の乱では、北条氏直の本陣が置かれた。
北と南の出城は、この時に築かれた陣城と思われる。
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789 新府城
武田勝頼が躑躅ヶ崎館に代わる本拠として築城。
高い台地上の丘陵部を利用しており、下には「七里岩」と呼ばれる断崖がそびえている。
武田氏滅亡後は、徳川氏の配下となった。
323 能見長塁
「能見城」とも言う。武田勝頼の新府城がある台地上を遮断する長塁。
新府城攻めの陣城とも考えられる。
ここでは、天正壬午の乱の際、新府に入った徳川家康が、若神子城に入った北条氏に対抗するために築いたと想定。
277 御坂城
武田氏の築城による大規模な山城。
本能寺の変の後、北条氏と徳川氏が甲斐の領有を争った天正壬午の乱では、北条氏が前線基地とした。
街道の峠をまたぐように造られ、戦国の城の中でも極めて標高が高い。
822 躑躅ヶ崎館
武田氏の本城として有名。
何度も改修や増設が行われたことがわかっており、最末期(豊臣政権時代)の状態を描いた。
奥に見える山城が詰城の要害山城。
244 躑躅ヶ崎館
「武田館」とも呼ばれる武田氏の本拠。
武田信玄時代を想定している。
戦国時代の代表的な平城で、勝頼時代にはさらに曲輪が増設された。