戦国時代に竹中重元が築城。以後、重治(半兵衛)、重門の3代に渡って竹中氏の居城。中でも生涯居城としたのは竹中半兵衛で、半兵衛の城として知られている。
大規模な竪堀と横堀、高い切岸は見ごたえがある。大手道の随所に堅固な防御ポイントが配されており、戦国時代の発達した土の城として完成度が高い。
カテゴリー: 岐阜県
2090 大桑城(おおがじょう)
美濃の国の守護大名、土岐氏の居城。土岐氏はもともと岐阜の平地に守護所を構えていたが、水害を機に大桑城を築城して本拠とした。険しい山に居城を移したのは、稲葉山城を本拠に勢力を拡大していた斎藤道三への対策だろう。
稲葉山城と同じくチャートの岩山で、石垣も多数発見されている。尾根上に曲輪を繋げ、谷には階段状の居住曲輪群を設けており、多数の建物があったと推定される。
2079 大井宿
中山道の宿場町、大井宿の江戸中期~後期の状況を推定復元した。道路に2回クランクが入る構造が特徴。右下の台地上には戦国期の城跡(大井城跡)があり、その麓に本陣が設けられた。中央には広場と会所(あるいは舞台)、蔵があり、祭などの集会所になっていたと思われる。本陣を含めて、幕末頃の家の形が分かる資料もあり、田畑の形も絵図から推定して描いている。
2076 岩村城下
江戸時代の代表的な山城として知られる岩村城(2065)の城下町を鳥瞰した。
城下町の復元では、どこまで瓦葺が普及していたかが課題になるが、岩村城下では町屋のほとんどが石置きの板葺屋根だったと推定されており、武家屋敷や寺にも瓦葺きは普及していなかった。城下を取り囲む丘陵上には経塚が点在し、手前側(右下)には石室千体仏があるなど、仏教的な力で城下を守ろうとしていたと推定されている。
2072 松尾山城
関ヶ原の南西部にある山城。
戦国期から存在したが、関ヶ原合戦で西軍の陣として使われたことで知られる。
もともと総大将の毛利氏が入る予定だったが、最終的に小早川氏が陣を構えた。
主な曲輪は土塁で囲まれており、左の煙硝蔵曲輪には、半地下式の櫓があったと推定されている。
2070 岐阜城山上曲輪
戦国時代には稲葉山城と呼ばれ、斎藤氏の本拠だったが、後に織田信長が攻略し、信長の居城となった。その後も池田輝政や織田秀信などの居城となった。ここでは山上の曲輪群を、織田信長時代を想定して復元。
一ノ門や裏門、天守など、最新の調査成果を反映させている。
金華山と呼ばれる岐阜城の山は、チャートの岩盤が露出する岩山で、天守近くには磐座信仰の権現社もあったと想像されている。
2069 大威徳寺
室町時代から戦国期にかけての山岳寺院で、楼門造りの山門や、三重塔、山王権現社などが立ち並んだと伝えられる。しかし戦国時代の戦火と天正地震によって堂宇の大半が失われ、江戸時代に廃寺となった。
鎌倉・室町時代には、各地に天台宗の山岳寺院が開かれた。山の中腹に削平地が点在するものが多いが、大威徳寺は一か所にまとまっているのが特徴。
2066 正家廃寺
恵那市街を見下ろす丘に多くの礎石が残された寺院の跡。文献資料は残されていない謎の遺跡だが、全面的な発掘調査が行われた。小振りながら、塔、金堂、講堂が並び立つ。当初は回廊が設けられたが、回廊を廃して築地塀が築かれ、隣に付属施設(詳細は不明)も設けられたと推定されている。イラストはその状態を描いた。
2065 岩村城
築城は鎌倉時代と伝えられる山城で、戦国時代には、武田氏、織田氏による争奪を始め、何度も戦場となった。
江戸時代には松平氏、丹羽氏が城主となり、近世城郭に整備。代表的な近世山城として名前が上がることも多い。イラストは、絵図資料が残る江戸中期から後期を描いているが、山中には多数の平場があり、戦国期や江戸前期に築かれたと思われる。江戸中期以降、それらは木に覆われていたようだが、イラストでは見えるように描いた。
2062 向小島城
飛騨市西部の小鷹利は、姉小路氏の拠点地域だったが、その後三木氏が奪い取った。向小島城はこの地域を見下ろし、南と西に大規模な堀切と畝状竪堀が築かれている。三木氏が織田信長方の侵攻に備えて築いたものと推定される。左奥の寺院も当時は城郭化していた。
その後、飛騨は信長方の金森氏の支配下になり、これらの城は廃城になったと考えられる。
2053 野口城
古川盆地西端の戦国城郭。特に中心曲輪の北側では大規模な堀切が連続し、畝状竪堀も見られる。これらは三木氏による改修と推定されている。上方(東側)は小島城。描いたのは姉小路氏が中心とした地域で、2城のほぼ中央の段丘上には、姉小路氏の居館とされる岡前館跡があるが、三木氏時代には廃絶していたと推定される。
2054 小鷹利城 三木氏時代
戦国時代中期、姉小路氏に代わって三木氏(名族、姉小路氏の名を継いだため、三木氏も姉小路氏と呼ばれた)が飛騨を支配した。その時代の飛騨の山城は畝状竪堀の構築が顕著で、小鷹利城には現在も深い堀跡が残されている。西側からの金森長近による侵攻を想定して築かれたと考えられる。
2055 小鷹利城 姉小路氏時代
飛騨の古川盆地西端には、戦国の山城が複数築かれており、手前の小鷹利城、中央の向小島城、左の野口城が知られる。この地域は姉小路氏の支配地域で、小鷹利城と向小島城は、姉小路氏の一族、向氏の本拠とされる。
小鷹利城の主郭では、この時代と推定される大型の礎石建物跡が発見され、関係者を驚かせた。
2056 萩原諏訪城
三木氏を滅ぼして飛騨一帯を配下に置いた金森長近が、飛騨南部の拠点として築いた織豊城郭。大地の先端部の城で、ここにあった諏訪神社を移転させて築城したが、江戸前期に廃城となり、その後再び諏訪神社が建てられている。
搦手口では当時の石垣が確認されているが、現在見られる石垣の多くは廃城後のものと考えられる。絵図などの資料も少なく、イラストは推測の多い復元イメージとなった。
2057 桜洞城
段丘の先端部を利用した城で、戦国時代、飛騨のほぼ全域に勢力を拡大した三木氏の居城。広範囲に発掘調査が行われ、空堀や、庭園と思われる石敷きなどが検出されている。ただ中心建物の跡は見つかっておらず、復元イラストでは、未調査区域を中心に主殿などを描いた。