1248 松山城 創建時本壇 第一案

江戸時代 考証 香川元太郎 2018年 『歴史群像 147 2月号』

加藤嘉明によって築城された松山城の本壇(創建時の本丸)復元案。
甲賀市水口図書館に保存されていた平面図と、幕府隠密による探索記録図から推定復元。
五基の二重櫓が並ぶが、天守らしい建物はない。
中央の池は、別の城下図にも記されており、重要だったと思われる。

2015 松山城 創建時

江戸時代 考証 香川元太郎 2018年『歴史群像 147 2月号』
愛媛県歴史文化博物館蔵

伊予松山城は、加藤嘉明によって築城され、蒲生氏が完成させた。
幕府隠密による探索の記録も資料として、二の丸が完成間近の蒲生期の状況を推定復元した。
近年、絵図の新発見や再検討、発掘調査などの研究が進み、これまでのイメージとは異なる創建時の姿が明らかとなってきた。

84 松山城 本壇

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年 学研 『名城の天守総覧』

本壇(天守曲輪)はこれだけで小さな城と言える堅固な造り。
ここに描く建物の半数は現存し、半数は木造で復元されている。
現在の本壇は幕末に作られたものだが、寛永期の本壇をほぼそのままに再建したと推定される。

81 松山城 大井戸断面

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

松山城二の丸で発掘された巨大な井戸。
江戸時代の二の丸平面図にも記されており、当時は半分程度が御殿の建物に覆われていた。
右には、御殿の奥に続く床下通路もある。

80 松山城 天守断面

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

現存する天守は幕末に建てられたものだが、寛永期の天守をほぼ忠実に再建したと考えられる。
現在は地下の入り口から1階に上がるが、この階段は見学の便利のために後付けされたもの。

74 松山城 創建時

江戸時代 考証 香川元太郎 2002年 PHP研究所『名城を歩く』3

松山城は平山城に分類されているが、山が高く、それぞれの曲輪の独立性が強いなど、山城的な要素が多い。
イラストは創建時を想定。
当時は建物が白壁、天守が五層、山に木が少なかった等の伝承記録から推定した。
しかし、最近の研究では異なる姿も推定される。→2015