2045 名古屋城天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』 東建コーポレーション蔵

戦災で焼失するまで残っていたため、中の様子が分かる史料も多い。
地下には井戸があり、一階からも水が汲める仕組みになっていた。
隠し狭間や小天守との間の剣塀など、戦闘のための工夫もある。

179 名古屋城 清洲櫓

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

名古屋城の西の端に現存する櫓で、清須城天守を移築したとの伝承から名づけられた。
全体の形は近世的だが、解体修理では転用材も見つかった。
清須城天守の材も再利用されたと思われる。
清州城天守の想像図は199

2046 名古屋城天守 断面

江戸時代 考証 香川元太郎 2010年 東建コーポレーション蔵

天守の内部を「金城温故録」などの史料から復元。
名古屋城の本丸は、将軍が上洛する際の宿所で、天守内にも、通常は使われない将軍専用の階段があった。
最上階には遠眼鏡が備えられていた。

176 名古屋城 幻の小天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

城大工の中井家に残された平面図には、小天守が現在と異なる配置になっているものがあり、これをもとに描いた。
現在の天守石垣西面には出入り口をふさいだ跡があり、実際にある程度まで建設が進んだ後、計画が変更されて現在の形になったと考えられる。

169 名古屋城

江戸時代 考証 香川元太郎  2003年  PHP研究所『名城を歩く』5

江戸時代初期に、大阪の豊臣氏に対抗する城として、幕府の命による天下普請で築城された。
台地の先端部を利用しており、二の丸は戦国時代に信長の居城だった那古屋城の跡地。
北の湿地「御深井」は広い水堀となった。