
沖縄では15世紀に中山が琉球統一をはたすが、その戦いで活躍した護座丸が築いたグスク。世界遺産にも含まれている。
自然の露岩の上に高石垣を築き、アーチ門や火矢用の銃眼を設けるなど、構造的な完成度が高い。
復元の想定は1458年。この年、護座丸は対岸(左上)の勝連グスクの阿麻和利によって謀反の疑いをかけられ、中山王の軍に攻められたが、抵抗せずに死を選んだとされている。
沖縄では15世紀に中山が琉球統一をはたすが、その戦いで活躍した護座丸が築いたグスク。世界遺産にも含まれている。
自然の露岩の上に高石垣を築き、アーチ門や火矢用の銃眼を設けるなど、構造的な完成度が高い。
復元の想定は1458年。この年、護座丸は対岸(左上)の勝連グスクの阿麻和利によって謀反の疑いをかけられ、中山王の軍に攻められたが、抵抗せずに死を選んだとされている。
浦添城(うらぞえグスク)は、沖縄を統一した中山(後の琉球王朝)の本城。
首里城に本城を移す直前の状況を想定。
寺や池などの配置が首里城に似ている。
太平洋戦争の沖縄戦では激戦地になった。
戦国時代から江戸初期にかけての那覇港の様子。
手前向かって左の三重城(みいグスク)や、右の屋良座森城(やらざむいグスク)などが港を守る。
左奥の首里とは、真珠道(まだまみち)と呼ばれる道路で結ばれていた。
手前のサンゴ礁は、現在大半が埋め立てられている。
今帰仁城(なきじんグスク)は琉球の三山時代(室町時代)に北山の中心だった城。
中山の攻撃によって落城した。
その後は中山(のちの琉球王朝)の管理下にあったが、薩摩の島津氏が琉球を攻めた際にも戦場となった。
沖縄の代表的なグスク(城)の1つ。
まだアーチ門が用いられる前の古い手法で作られる。
首里城などとともに世界遺産に指定されている。
首里城宮殿の中心建物で、外観は2層だが、内部は4階建て。
太平洋戦争で焼失したが、平成の復元事業で、多くの宮殿建物とともに再建された。
このイラストも、再建された正殿をもとに描いている。
しかし、正殿を中心とする宮殿7棟は、2019年の火災で再び焼失した。現在、再建事業が進められている。
琉球王朝の中心。
三山時代には、北山、中山、南山と呼ばれる3勢力が覇権を争った。
その後、沖縄を統一した中山(琉球王朝)が新たな本城として築城。
イラストは江戸時代の状況を復元。
サンゴの石灰岩による白い石垣は、他の多くのグスクにも見られる。