2074と同じ考証内容で、首里方面を望んでいる。丘陵上に延びる「ハンタ道」は、右上の新垣グスクの下を通って南西の首里まで続いていた。遠景に見える集落の位置も、これまでの調査成果を反映させている。
中城グスクの下の海岸には、サンゴ礁が途切れて水路になっている箇所があり、そこが港に使われたと想定されている。
カテゴリー: 沖縄県
2074 中城グスク(西から)
護佐丸時代の中城グスクを西から見る。861と基本設定は同じだが、主郭北側石垣の形などに、長く中城グスクの調査を行ってきた渡久地氏の知見が反映されている。
ここでは、正殿を庇なしの単層と想定した。
861 中城グスク
沖縄では15世紀に中山が琉球統一をはたすが、その戦いで活躍した護座丸が築いたグスク。世界遺産にも含まれている。
自然の露岩の上に高石垣を築き、アーチ門や火矢用の銃眼を設けるなど、構造的な完成度が高い。
復元の想定は1458年。この年、護座丸は対岸(左上)の勝連グスクの阿麻和利によって謀反の疑いをかけられ、中山王の軍に攻められたが、抵抗せずに死を選んだとされている。
807 浦添城
浦添城(うらぞえグスク)は、沖縄を統一した中山(後の琉球王朝)の本城。
首里城に本城を移す直前の状況を想定。
寺や池などの配置が首里城に似ている。
太平洋戦争の沖縄戦では激戦地になった。
793 那覇港
戦国時代から江戸初期にかけての那覇港の様子。
手前向かって左の三重城(みいグスク)や、右の屋良座森城(やらざむいグスク)などが港を守る。
左奥の首里とは、真珠道(まだまみち)と呼ばれる道路で結ばれていた。
手前のサンゴ礁は、現在大半が埋め立てられている。
370 今帰仁城 落城
今帰仁城(なきじんグスク)は琉球の三山時代(室町時代)に北山の中心だった城。
中山の攻撃によって落城した。
その後は中山(のちの琉球王朝)の管理下にあったが、薩摩の島津氏が琉球を攻めた際にも戦場となった。
364 今帰仁城
沖縄の代表的なグスク(城)の1つ。
まだアーチ門が用いられる前の古い手法で作られる。
首里城などとともに世界遺産に指定されている。
371 首里城正殿
首里城宮殿の中心建物で、外観は2層だが、内部は4階建て。
太平洋戦争で焼失したが、平成の復元事業で、多くの宮殿建物とともに再建された。
このイラストも、再建された正殿をもとに描いている。
しかし、正殿を中心とする宮殿7棟は、2019年の火災で再び焼失した。現在、再建事業が進められている。
363 首里城
琉球王朝の中心。
三山時代には、北山、中山、南山と呼ばれる3勢力が覇権を争った。
その後、沖縄を統一した中山(琉球王朝)が新たな本城として築城。
イラストは江戸時代の状況を復元。
サンゴの石灰岩による白い石垣は、他の多くのグスクにも見られる。