750 田原坂の戦い

明治時代 考証 中尾豊 1990年 歴史群像シリーズ 21『西南戦争』

田原坂(たばるざか)は、西南の役で激戦地となった熊本郊外の丘陵地。
野戦築城も行いながら、薩摩軍と政府軍が激戦を繰り返し、多数の戦死者を出した。
戦いは政府軍が制し、薩摩軍は退却に転ずる。

325 田中城

戦国時代 考証 西股総生 2007年『歴史群像 85 』

熊本県北部の戦国山城。
豊臣政権下、肥後に配された佐々成政に国人たちが反発、「肥後国人一揆」が起こる。
一揆軍は田中城に入り、秀吉方の大軍を相手に籠城した。
下には寄せ手の仕寄も描いている。

117 熊本城宇土櫓

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

熊本城の現存櫓の中で、最も目立つ宇土櫓の内部を見せた。
地上5階、地下1階の大型櫓で、別名「三の天守」と呼ばれた。

116 熊本城本丸

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

熊本城の本丸と天守内部を、北東から見る。
手前は、本丸北の一角にある通路で、狭い地下道を経て本丸北の空堀に抜けることができる。

115 熊本城創建時

江戸時代 考証 加藤理文 2012年『歴史群像 111』

加藤清正が築城した当時を推定復元。
詳細は不明だが、築城時の縄張りや建物は、後の細川時代とは異なる部分があったと思われる。

114 熊本城天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年  学研『名城の天守総覧』

南東から見た天守と小天守の断面。
いずれも石垣内の地下室(石蔵)がある。
小天守地下には井戸とかまどが設けられていた。

113 熊本城

江戸時代 考証 香川元太郎 2003年 PHP研究所『名城を歩く』10

幕末期の熊本城。
熊本城には、清正公石垣と呼ばれる雄大な石垣が築かれ、天守や小天守以外に五階櫓が5つも立ち並んでいた。
加藤氏が改易となった後は細川氏が入り、大規模な改修を行って、西大手門などを新設したと思われる。