866 衣笠城

平安〜鎌倉時代 考証 西股総生 2022年『 歴史群像 172 4月号』

平安時代後期から三浦半島一帯を領した三浦氏の本拠。源平合戦の初期、三浦氏は源頼朝を支援して挙兵するが、頼朝は石橋山合戦で敗れ、房総に逃れる。三浦氏は衣笠城で平家方の畠山氏を迎え撃つが、翌日には城を出てやはり房総へ逃れた。
この時期はまだ城の構造も城攻め法も未発達で、野戦に近い攻防の様子を推定して表現した。

855 小田原城

安土桃山時代  考証 香川元太郎  2020 年『廃城を行く7』イカロス出版

2020年の新作で、堀や切岸の赤土も意識して表現した。惣構えの完成時を想定し、矢倉や柵などは小田原合戦の配陣図から推定。旧作イラストの制作以降、部分的ながら多数の発掘調査が行われ、江戸時代の「三の丸」が戦国期にはまだなかったことや、障子堀に囲まれた方形館が城下に点在したことが分かってきた。海際にはまだ不明点もあり、東側の山王口は、渡し船などで旧東海道に繋がると推測した。

845 大庭城

戦国時代 考証 西俣総生  2019 歴史群像155 6月号

神奈川県藤沢市に城址がある。扇ヶ谷上杉氏が山之内上杉氏との抗争時に築き、最終的には伊勢宗瑞(北条早雲)が攻略したとされる。 関東に多い台地の先端部を利用する城だが、 横堀を重ねた厳重な守りが特徴。

832 小机城

戦国時代 考証 西股総生 2018年 『歴史群像 149 6月号』

小机城は、戦国時代に北条氏の拠点の一つだった。
南東から見ており、上を流れるのは鶴見川。
西股総生氏による復元案で、巨大な空堀が、当時は障子堀だったと推定。

816 小机城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

小机城は横浜市港北区の戦国城郭で、玉縄城と同様に、北条氏の拠点城郭のひとつ。
2つの中心曲輪と、それを囲む大規模な空堀が特徴。
北東から見ており、832よりも現状の遺構に即した復元案。

805 玉縄城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

玉縄城は、鎌倉近くに築かれた北条氏の拠点城郭。
地質は鎌倉に似ており、複雑に谷戸が入り込んでいる。
801とほぼ同じ内容を、別角度から描いた。

801  玉縄城

戦国時代 考証 坂井尚登 2017年  『歴史群像 142 4月号』

北条氏の拠点城郭の一つ。
すり鉢状の地形を中心にした独特の縄張りが特徴。
ここを本拠とした玉縄衆は、北条軍の中でも特に精鋭として知られていた。
坂井尚登氏の復元案。

776  津久井城

戦国時代 考証 西股総生 2014年 『歴史群像 127 10月号』

北条氏による築城で、山頂の曲輪には石垣が使われている。
関東では珍しい畝状竪堀の遺構もある。
現在、山裾の川はダムが設けられて湖となっている。

430  横浜港

明治時代 考証 香川元太郎 2007年 帝国書院 『アドバンス中学歴史資料』

横浜はもともと河口に発達した砂州で、開港当初は堀で外から切り離された島となっていた。
イラストは明治中期の状況で、中央の公園が現在の横浜スタジアム。道路が斜めになった地域が中華街。
手前の堤防は「象の鼻」と呼ばれ、大桟橋の根元に当たるが、2009年に明治期の形が復元された。

361 鎌倉鳥瞰

鎌倉時代 考証 香川元太郎 2003年 あすなろ書房 『衣食住に見る日本人の歴史3』

中世の鎌倉を南から見る。
鎌倉を囲む山上には切岸による防衛線が巡らされ、「切り通し」と呼ばれる虎口が設けられた。
海岸線は今よりも深く入り込み、鶴岡八幡宮の一の鳥居は海岸に面していた。
東の和賀江島は人工の堤防。

351 環濠集落を巡る戦い

弥生時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

横浜市の大塚遺跡をモデルにした、環濠集落の断面。
柵は、平坦部の縁ではなく、堀の外の土塁上に立てられており、柵を越えようとする敵を狙い撃つ戦い方が想定される。

350 大塚遺跡

弥生時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

横浜市にある弥生時代の環濠集落で、イラスト上部の歳勝土遺跡は、多数の墓が並んでいる。
大規模発掘調査で、環濠や柵の跡などが発見された。
現在は史跡公園となり、復元された住居なども見学できる。

837 三崎城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018月 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

北条市の水軍の拠点のひとつ。
293と逆方向から見て、左下の外郭線ラインも異なる考証で描いている。
戦国期を含む中世には、川の河口部が広い潟湖状になり、港として使われる例が多い。

293  三崎城

戦国時代 考証 西股総生 2003年 『歴史群像 57 2月号』

三浦半島先端部の城で、 奥に見えるのは城ヶ島。
三浦氏が築城したものを、北条氏が配下に収めて改修したと推定される。
北条氏の水軍の拠点で、しばしば安房の里見氏に攻められている。

839 石垣山城

安土桃山時代 考証 2018月 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

石垣山城は、豊臣秀吉が小田原攻めのために築いた大規模な陣城。
イラストは城が完成した時を想定。
小田原攻めの際には211のように建設途中だったかもしれないが、その後も工事が続けられて、天守も完成したと推定した。