257 長浜城

戦国時代 考証 西股総生 2007年 『歴史群像 84 8月号』

海に突き出た山を要塞化した城。
伊豆半島西岸にあり、北条氏水軍の前線基地。
軍港も備えていたと推定される。

317  高天神城

戦国時代 考証 西股総生 2010年 『歴史群像 104 12月号』

遠江の山城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。
254,314でも描いたが、このイラストは西股氏の考証による復元。
武田方が徳川軍を迎え撃つ直前を想定し、逆茂木を多数並べている。

314  高天神城の戦い

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『覇王家康』

高天神城は、武田氏が遠江支配の拠点としていた。
ここでは、武田方が籠城する城を、徳川軍が囲んだ様子を想定。
長篠合戦後、劣勢になった武田方は城を後詰することができず、城は壮絶な最後を遂げた。

254 高天神城

戦国時代 考証 関口宏行 1998年 『歴史群像 36 秋冬号』

遠江を代表する山城。
武田氏と徳川氏が激しく戦ったことで知られる。
谷を挟んで2つの城が連結したような縄張りは、「一城別郭」の好例と言われている。

281 今川義元館

戦国時代 考証 前田利久 1997年『歴史群像シリーズ 50 戦国合戦大全』上巻

守護大名の居館にふさわしい建物と、庭園を備えていた。
背後の山は富士山。
手前の土塁は、一部切り取って建物を見せている。
周囲も含めた鳥瞰は 252で描いた。

252 今川義元館鳥瞰

戦国時代 考証 前田利久 1997年『歴史群像シリーズ 50 戦国合戦大全』上巻

今川義元の館は、守護大名の格式を備えた「方形館」と呼ばれる四角いプランの平城。
城下集落や、それを囲む総構えもあったと思われる。

251  狩野城

戦国時代 考証 西股総生 2014年 『歴史群像 125 6月号』

伊豆の修善寺温泉近くに築かれた山城。
大規模な堀切と、トーチカ的な曲輪を備えた堅固な構造が特徴。

249  韮山城

戦国時代 考証 中井均 2002年 『歴史群像 53 6月号』

北条氏(後北条氏)の始祖、北条早雲の城。
イラストは、豊臣秀吉の北条攻めで、城が包囲された状況を想定。
周辺の山上には陣城が造られ、平地では土塁などが城を囲んだと推定されている。

227 小長井城

戦国時代 考証 西股総生 2012年 『歴史群像 116 12月号』

「小長谷城」とも書く。
大井川上流の山間部に築かれた城で、武田氏によって拡張され、重ね馬出を備えた攻撃的な縄張りとなった。

803  田中城

江戸時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

武田氏の遠江進出作戦で、本陣的な役割を果たした。
その後、徳川氏が奪取。
徳川氏によって外堀が造られ、江戸時代の間も城は存続した。
日本の城の中でも、最も丸い縄張りの城。
現在、堀はすべて失われている。

2082 田中城

戦国時代 考証 香川元太郎 2004年 学研『戦国の堅城』藤枝市郷土博物館蔵

藤枝の平城で、始めは今川氏によって築城され、武田氏によって整備された。
虎口に丸馬出しを多用するところも、武田流とされる。
イラストは武田時代を想定。
江戸時代の状況は、803に描いた。

225 二俣城

戦国時代 考証 加藤理文 2003年 『歴史群像 59 6月号』

天竜川と二俣川に挟まれた天険を利用した城で、武田、徳川軍が激しい攻防戦を繰り広げた。
天竜川に突き出ているのは、川から直接水が汲めたという水の手櫓で、籠城戦で焦点となった。