824 若神子城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

武田氏の先祖ゆかりの城。
本能寺の変後、旧武田領に侵攻した北条氏と徳川氏が争った天正壬午の乱では、北条氏直の本陣が置かれた。
北と南の出城は、この時に築かれた陣城と思われる。

789  新府城

戦国時代 考証 西股総生  2016年 『歴史群像 135 2月号』

武田勝頼が躑躅ヶ崎館に代わる本拠として築城。
高い台地上の丘陵部を利用しており、下には「七里岩」と呼ばれる断崖がそびえている。
武田氏滅亡後は、徳川氏の配下となった。

323  能見長塁

戦国時代 考証 西股総生 2006年 『歴史群像 79 10月号』

「能見城」とも言う。武田勝頼の新府城がある台地上を遮断する長塁。
新府城攻めの陣城とも考えられる。
ここでは、天正壬午の乱の際、新府に入った徳川家康が、若神子城に入った北条氏に対抗するために築いたと想定。

277  御坂城

戦国時代 考証 西股総生 2008年 『歴史群像 90  8月号』

武田氏の築城による大規模な山城。
本能寺の変の後、北条氏と徳川氏が甲斐の領有を争った天正壬午の乱では、北条氏が前線基地とした。
街道の峠をまたぐように造られ、戦国の城の中でも極めて標高が高い。

822 躑躅ヶ崎館

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

武田氏の本城として有名。
何度も改修や増設が行われたことがわかっており、最末期(豊臣政権時代)の状態を描いた。
奥に見える山城が詰城の要害山城。

244  躑躅ヶ崎館

戦国時代 考証 佐々木満 2007年 『歴史群像 81 2月号』

「武田館」とも呼ばれる武田氏の本拠。
武田信玄時代を想定している。
戦国時代の代表的な平城で、勝頼時代にはさらに曲輪が増設された。