2008 切山城

戦国時代 考証 千田嘉博 2015年 金沢市蔵

豊臣秀吉と徳川家康が争った小牧・長久手の合戦当時、加賀(石川)と越中(富山)を結ぶ街道に、前田氏によって築城されたと推定される。
当時、加賀の前田利家は秀吉に付いたが、越中の佐々成政は家康に付いて、対立した。
同じ街道の佐々領側に築かれた松根城に対して、切山城は街道の前田領側を封鎖するように造られている。
土の城ながら、主郭には織豊的な構造が見られる。

2016 松根城

戦国時代 考証 千田嘉博 2015年 金沢市蔵

佐々成政が築いた国境要塞で、小牧・長久手合戦当時、前田利家に対抗して築城された。
イラストとしては先に308を描いていたが、これと少し角度を変え、新しい調査成果を反映させて描いた。
新しい発掘調査では、堀や切岸が街道を完全に断ち切って築かれたことがわかった。

308 松根城

戦国時代 考証 佐伯哲也 2007年 『歴史群像 82 4月号』

越中の佐々成政による国境要塞。
小牧・長久手合戦当時、加賀の前田利家に対抗して築城されたが、前田方の攻撃によって落城した。
2016のイラストより先に描いたもので、城に対する街道の通り方は、発掘調査以前の推定。

188 金沢城 御三階櫓

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年 学研  『名城の天守総覧』

金沢城には当初、五層天守があったとされるが、それが失われた後、天守の代用として建てられた。
外観は立面図が残されており、それに基づいて描いている。
全体のバランスが、戦前まで存在した水戸城御三階櫓に似ており、この櫓と同様に内部は5階建てだったと考えられる。

175 金沢城

江戸時代 考証 西ヶ谷恭弘・香川元太郎 2002年 PHP研究所『名城を歩く』2

加賀百万石の城で、複数の櫓や門が現存するほか、中央部の壮大な二階建て多門櫓も復元されている。
イラストは創建時を想定しており、後に海鼠壁となる壁面は、下見板張りに描いている。
当時は五層天守があったとされる。