日本の船は、中世まで刳り船を本体とした構造が主流だったが、その構造では船の大きさに限界があり、黄海を渡る遣唐使船は、中国式の唐船(ジャンク)が使われたと推定されている。実際に遣唐使が送られた時代の絵画資料はないが、平安後期以降の絵巻に、唐船が描かれたものが複数ある。イラストは「吉備大臣入唐絵巻」を主な資料とし、石井謙治氏の研究を参考にして描いた。
日本の船は、中世まで刳り船を本体とした構造が主流だったが、その構造では船の大きさに限界があり、黄海を渡る遣唐使船は、中国式の唐船(ジャンク)が使われたと推定されている。実際に遣唐使が送られた時代の絵画資料はないが、平安後期以降の絵巻に、唐船が描かれたものが複数ある。イラストは「吉備大臣入唐絵巻」を主な資料とし、石井謙治氏の研究を参考にして描いた。