2063 尼崎城天守

江戸時代 考証 室谷公一・尼崎市立歴史博物館 2022年 尼崎市(尼崎城)蔵

尼崎城を築いた戸田氏は、岐阜県の大垣城も築いており、4層の白亜の天守は、大垣城の天守と類似している。
しかし、規模は尼崎城のほうが一回り大きい。
柱の位置が分かる各階平面図が残されており、外観も複数の絵図に描かれており、概ね正確に復元できる。柱組は推定で描いている。

2064 尼崎城

江戸時代 考証 室谷公一・尼崎市立歴史博物館 2022年 尼崎市(尼崎城)蔵 

大坂の陣後の元和年間に戸田氏が築いた城で、徳川幕府は姫路城、明石城などと共に、西国の外様大名に対する抑えと位置付けていた。
江戸時代中期~後期の城と城下を東側から見ている。
尼崎城は整然とした近世城郭で、城下町の武家屋敷や町屋にも瓦葺きが浸透し、江戸時代でも特に都会的な城と城下だったと思われる。左上の山は六甲山で、尼崎との間に流れる武庫川は、現在と異なる流路もあった。

870 羽衣石城

安土桃山時代 考証 加藤理文 2022年 『 歴史群像173  6月号』

中央の羽衣石城(うえしじょう)は、国人領主南條氏の城。
織田信長配下の羽柴秀吉が、吉川氏が籠る鳥取城を包囲するのと相前後して、南條氏は秀吉方に付いた。
城の周辺には左下の「太閤ヶ平」など、秀吉軍の築城と思われる大規模な陣城跡が残されている。
鳥取城は秀吉方が落とすが、その後秀吉軍が撤退した隙に、羽衣石城は吉川方が攻め落とした。

866 衣笠城

平安〜鎌倉時代 考証 西股総生 2022年『 歴史群像 172 4月号』

平安時代後期から三浦半島一帯を領した三浦氏の本拠。源平合戦の初期、三浦氏は源頼朝を支援して挙兵するが、頼朝は石橋山合戦で敗れ、房総に逃れる。三浦氏は衣笠城で平家方の畠山氏を迎え撃つが、翌日には城を出てやはり房総へ逃れた。
この時期はまだ城の構造も城攻め法も未発達で、野戦に近い攻防の様子を推定して表現した。

2066 正家廃寺

奈良~平安時代 考証 恵那市教育委員会 2022年 恵那市蔵

恵那市街を見下ろす丘に多くの礎石が残された寺院の跡。文献資料は残されていない謎の遺跡だが、全面的な発掘調査が行われた。小振りながら、塔、金堂、講堂が並び立つ。当初は回廊が設けられたが、回廊を廃して築地塀が築かれ、隣に付属施設(詳細は不明)も設けられたと推定されている。イラストはその状態を描いた。

2065 岩村城

江戸時代 考証 三宅唯実 2022年 恵那市蔵

築城は鎌倉時代と伝えられる山城で、戦国時代には、武田氏、織田氏による争奪を始め、何度も戦場となった。
江戸時代には松平氏、丹羽氏が城主となり、近世城郭に整備。代表的な近世山城として名前が上がることも多い。イラストは、絵図資料が残る江戸中期から後期を描いているが、山中には多数の平場があり、戦国期や江戸前期に築かれたと思われる。江戸中期以降、それらは木に覆われていたようだが、イラストでは見えるように描いた。

2062 向小島城

戦国能代 考証 飛騨市教育委員会 2021年 飛騨市蔵

飛騨市西部の小鷹利は、姉小路氏の拠点地域だったが、その後三木氏が奪い取った。向小島城はこの地域を見下ろし、南と西に大規模な堀切と畝状竪堀が築かれている。三木氏が織田信長方の侵攻に備えて築いたものと推定される。左奥の寺院も当時は城郭化していた。
その後、飛騨は信長方の金森氏の支配下になり、これらの城は廃城になったと考えられる。

862 賤機山城

戦国時代 考証 西股総生 2021年 『歴史群像169 10月号』

今川氏の詰め城で、 右上に見えるのが今川館(その跡地は、のちに駿府城となる)。
規模は大きいが、比較的単純な造りのオーソドックスな山城。
今川義元が討たれたのち、今川氏真が武田氏の進行に備えて兵を配している設定で描いた。

865 高槻城(高山右近期)

戦国能代 考証 中西裕樹 2022年『 歴史群像171 2月号』

戦国時代、入江氏の居城だったが織田信長によって落城。信長の支配下となってから、高山右近が配されて城を織豊城郭に改修したと推定されている。本丸の発掘調査では、当時の石垣のほか、障子堀も見つかった。
高山右近はキリシタン大名として知られるが、城内には教会と墓地があり、家臣の葬式では右近も棺を担いで人々を驚かせたと伝わっている。

864 虎御前山城

戦国能代 考証 中井均 2021 年 『歴史群像170 12月号』

1570年の姉川の戦い以降、浅井長政に対する攻勢を強めた織田信長は、浅井方の支城を落として本拠の小谷城に迫り、虎御前山(とらごぜまや)に大規模な付城を築いた。イラストは虎御前山上空から、遠景に小谷城を望むアングルで描いている。
小谷城も、朝倉氏が西側尾根の大嶽などに支城を築いて支援し、織田方と攻防を繰り返したが、1973年、信長は大規模な包囲体制を完成させ、小谷城を落した。

863 信貴山城

安土桃山時代 考証 香川元太郎 2021年 「信貴山観光協会資料」

古くから寺院が開かれた信貴山に造られた山城で、松永久秀が本拠とした。
山頂部から延びる尾根上に郭を並べた放射状の縄張り。
229の落城場面と同じ角度から、平常時の姿を想像復元して描いた。

860 安楽平城

戦国時代  考証  中西義昌  2021年『歴史群像 167 6月号

安楽平城(あらひらじょう)は荒平城とも表記される。はじめは大内氏の城として築かれたとされるが、その後大友宗麟の配下の城となって、龍造寺氏の大軍に攻められて落城したとされる。
イラストは、その籠城戦を想定しており、その季節に合わせて冬景色に描いた。
尾根上に曲輪を繋げ、要所に堀切を設けた戦国の山城らしい縄張りだが、各所に石垣が設けられており、織豊城郭とは異なる在地系の石垣と評価されている。

861 中城グスク

室町時代  考証 山本正昭  2021年  『歴史群像 168 8月号

沖縄では15世紀に中山が琉球統一をはたすが、その戦いで活躍した護座丸が築いたグスク。世界遺産にも含まれている。
自然の露岩の上に高石垣を築き、アーチ門や火矢用の銃眼を設けるなど、構造的な完成度が高い。
復元の想定は1458年。この年、護座丸は対岸(左上)の勝連グスクの阿麻和利によって謀反の疑いをかけられ、中山王の軍に攻められたが、抵抗せずに死を選んだとされている。

2053 野口城

戦国時代  考証  飛騨市教育委員会  2021年 飛騨市蔵

古川盆地西端の戦国城郭。特に中心曲輪の北側では大規模な堀切が連続し、畝状竪堀も見られる。これらは三木氏による改修と推定されている。上方(東側)は小島城。描いたのは姉小路氏が中心とした地域で、2城のほぼ中央の段丘上には、姉小路氏の居館とされる岡前館跡があるが、三木氏時代には廃絶していたと推定される。

2054 小鷹利城 三木氏時代

戦国時代  考証  飛騨市教育委員会  2021年 飛騨市蔵

戦国時代中期、姉小路氏に代わって三木氏(名族、姉小路氏の名を継いだため、三木氏も姉小路氏と呼ばれた)が飛騨を支配した。その時代の飛騨の山城は畝状竪堀の構築が顕著で、小鷹利城には現在も深い堀跡が残されている。西側からの金森長近による侵攻を想定して築かれたと考えられる。