飯盛山城とも言う。最初の築城は南北朝時代とされるが、1560頃に、河内の戦国大名、三好長慶が大規模に築城し、芥川城(294番)からここに居城を移した。石垣(高さ2メートル前後ながら、総石垣に近い規模)や、塼列建物(土蔵造り)もあり、織豊城郭以前の先進的な城といえる。周辺平野部の支城や寺内町には教会もあったとされる。長慶は当時のイエズス会に「天下人」と認識されていた。
飯盛山城とも言う。最初の築城は南北朝時代とされるが、1560頃に、河内の戦国大名、三好長慶が大規模に築城し、芥川城(294番)からここに居城を移した。石垣(高さ2メートル前後ながら、総石垣に近い規模)や、塼列建物(土蔵造り)もあり、織豊城郭以前の先進的な城といえる。周辺平野部の支城や寺内町には教会もあったとされる。長慶は当時のイエズス会に「天下人」と認識されていた。