伊達氏が最上氏との国境線に築いた城だが、天守台と重要な虎口は織豊城郭の石垣造り。豊臣時代に国替えで会津に入った蒲生氏郷の指示で改修されたと推定される。単純な縄張の戦国城郭ながら、石垣で固めた入城ルートだけ技巧的なのが面白い。
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753 酒田港
酒田は最上川河口の港。
江戸時代には北前船の中心基地で、東北一の港として栄えた。
イラストは帆を下ろして停泊する北前船を中心に描き、奥に酒田の街を見せた。
312 長谷堂城の戦い
長谷堂城は最上氏の重要な支城。関ヶ原の戦いに連動した慶長出羽合戦で、直江兼続率いる上杉軍の猛攻を受けた。
しかし城は持ちこたえ、関ヶ原での西軍敗戦の報を受けた上杉軍は撤退した。
259 長谷堂城
山形城の郊外に位置する最上氏の支城で、戦国時代には伊達氏との攻防の焦点になった。
もともと山城だが、慶長期には惣構えの堀を持つ平山城的な縄張りとなる。
慶長出羽合戦では、総構えの力で上杉軍を退けたと推定されている。
243 舘山城
伊達氏が築城し、後世の米沢城が築城される以前、ここが伊達氏の本拠だったとの推定による復元。
米沢市の西側の郊外、鬼面川と大樽川の合流地に城跡がある。
若き伊達正宗も居城とし、ここが会津侵攻などの拠点になったと思われる。
241 畑谷城
山形城を本拠とした最上氏が、上杉氏、伊達氏に対する最前基地として整備。
関ヶ原合戦直前に起きた慶長出羽合戦で、上杉軍(直江兼続)の攻撃を受け、激戦の末、落城した。
142 米沢城下
上杉氏の城と城下町。
上杉景勝は会津で120万石を領する大大名だったが、関ヶ原合戦で西軍側についた責を問われ、米沢30万石に改易された。
小さめの城に対して城下町が大きく広がるのは、石高を減らされても家臣を解雇せずに抱え続けたためという。
140 鶴ヶ岡城
小規模な平城で、ほぼ本丸のみの構成。
しかし大手門は石垣造りの枡形虎口で、御殿奥に天守的な二階櫓があるなど、近世城郭の特徴を備えている。