211 石垣山城建造中

安土桃山時代 考証 西股総生 2011年 『歴史群像 106 4月号』

豊臣秀吉が小田原攻めの拠点として築城。
石垣山一夜城とも呼ばれる。
小田原開城の際には、まだ天守や櫓は完成していなかったとの推定で描いた。
秀吉の城の場合、通常は瓦葺きに推定する塀なども、板葺きと想定している。

201 石垣山から見る小田原

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年 世界文化社『ザ・ビッグマン8月号』

豊臣秀吉が小田原攻めの拠点とした石垣山城から望む小田原城。
城址からは小田原城がギリギリ見える程度で、小田原からも石垣山城の低い部分(曲輪の裾など)は見えない。
あらかじめ築城を進め、小田原側の木を伐採すれば、一夜で城が建ったように見えたかもしれない。

200 石垣山城

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年 世界文化社『ザ・ビッグマン8月号』

秀吉による小田原攻めの本陣。
手前は石敷きの「太閤道」。
現地には天守台跡をはじめ、大規模な石垣が崩壊した状況が残されている。

132 小田原城

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年 PHP研究所『名城を歩く』18

江戸時代の小田原城で、北条氏の小田原城跡を利用して築城された。
江戸時代にも、背後の山に戦国時代の空堀が多数残っていたことが、幕末期の絵図からわかる。
現在、イラスト上部の山は鉄道工事によって削られている。

130 小田原城天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年 『名城の天守総覧』

江戸時代の天守は木造の模型が残されており、それらから復元。
現在も、概ねこれと同じ形の天守が復元されている。

133  小田原城の堀

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社 『日本の城』

小田原城では障子堀と呼ばれる独特の堀が多用された。
発掘で検出された堀をモデルにしており、櫓や塀などは推定で加えた。

131 小田原城

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年  世界文化社『日本の城』 2024年修正

北西から見た戦国期の小田原城。北条氏の本拠地で、上杉謙信、武田信玄の攻撃もはね返した。イラストは上杉謙信の攻撃を想定。
小田原城は大城郭として知られるが、巨大な惣構えは秀吉の小田原攻め間近に構築されたもので、この時はまだ造られていない。
2024年、近年の研究成果を反映させるよう修正。