
海に突き出た山を要塞化した城。
伊豆半島西岸にあり、北条氏水軍の前線基地。
軍港も備えていたと推定される。

海に突き出た山を要塞化した城。
伊豆半島西岸にあり、北条氏水軍の前線基地。
軍港も備えていたと推定される。

遠江の山城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。
254,314でも描いたが、このイラストは西股氏の考証による復元。
武田方が徳川軍を迎え撃つ直前を想定し、逆茂木を多数並べている。

高天神城は、武田氏が遠江支配の拠点としていた。
ここでは、武田方が籠城する城を、徳川軍が囲んだ様子を想定。
長篠合戦後、劣勢になった武田方は城を後詰することができず、城は壮絶な最後を遂げた。

遠江を代表する山城。
武田氏と徳川氏が激しく戦ったことで知られる。
谷を挟んで2つの城が連結したような縄張りは、「一城別郭」の好例と言われている。

守護大名の居館にふさわしい建物と、庭園を備えていた。
背後の山は富士山。
手前の土塁は、一部切り取って建物を見せている。
周囲も含めた鳥瞰は 252で描いた。

今川義元の館は、守護大名の格式を備えた「方形館」と呼ばれる四角いプランの平城。
城下集落や、それを囲む総構えもあったと思われる。

伊豆の修善寺温泉近くに築かれた山城。
大規模な堀切と、トーチカ的な曲輪を備えた堅固な構造が特徴。

北条氏(後北条氏)の始祖、北条早雲の城。
イラストは、豊臣秀吉の北条攻めで、城が包囲された状況を想定。
周辺の山上には陣城が造られ、平地では土塁などが城を囲んだと推定されている。

「小長谷城」とも書く。
大井川上流の山間部に築かれた城で、武田氏によって拡張され、重ね馬出を備えた攻撃的な縄張りとなった。

武田氏の遠江進出作戦で、本陣的な役割を果たした。
その後、徳川氏が奪取。
徳川氏によって外堀が造られ、江戸時代の間も城は存続した。
日本の城の中でも、最も丸い縄張りの城。
現在、堀はすべて失われている。

藤枝の平城で、始めは今川氏によって築城され、武田氏によって整備された。
虎口に丸馬出しを多用するところも、武田流とされる。
イラストは武田時代を想定。
江戸時代の状況は、803に描いた。

天竜川と二俣川に挟まれた天険を利用した城で、武田、徳川軍が激しい攻防戦を繰り広げた。
天竜川に突き出ているのは、川から直接水が汲めたという水の手櫓で、籠城戦で焦点となった。