
安土城は、織田信長の最後の居城で、その後の城に多大な影響を与えた。
本丸御殿は天守の一段下に設けられたもので、天皇を迎えるための御幸御殿と推定されている。

安土城は、織田信長の最後の居城で、その後の城に多大な影響を与えた。
本丸御殿は天守の一段下に設けられたもので、天皇を迎えるための御幸御殿と推定されている。

新撰組の名を有名にした事件。
京都の旅館「池田屋」に集まっていた尊王攘夷派の志士たちを、新撰組が襲い、多くの志士が死亡または捕縛された。
池田屋は町屋特有の短冊状敷地(間口が狭く奥行きが広い)で、部屋割り図が残る。
イラストでは、表と奥の二棟が繋がった建物と推定した。

有名な舞台(懸け作り)をはじめとする清水寺の独特な構造を、断面で表現した。
左の一段高い山上にあるのは、縁結びで人気の地主神社。

白河法王らが屋敷を構えた、賀茂川東側の一画。
平安時代後期には、日本の文化と政治の中心地だった。
手前は、八角形九重の塔を擁した法勝寺。
これを含めて、6つの浄土教寺院がひしめいていた。

平安京の南の入口で、朱雀大路の南端に建てられた巨大な門。
後には荒廃し、鬼の伝説が生まれたり、芥川龍之介「羅生門」の舞台となったりした。

平安時代初期にに造られた街並を想定。
範囲は広大で、街路は唐の長安に倣い、整然と計画された。
実際には住みにくい地域も含まれており、少しずつ街の姿は変化していった。

江戸時代の京都を南西から見る。
496、495の戦国期に比べると、街は大きくなっていた。
濃い緑のラインは、豊臣秀吉が京都の守りに築いた「御土居」で、幕末までその大半は残されていた。

戦国時代の京都を南西から見る。
応仁の乱によって荒廃した後、復興した町は、上京、下京の二つに分かれ、自衛のためそれぞれ土塀や堀で囲まれていた。
本能寺など、堀を巡らせた城造りの寺も点在。
495のイラストより少し前の状況を描いている。

戦国時代、織田信長が上洛した後の京都。
496とほぼ同じ角度から、少し後の時代を描いている。
信長によって、上京と下京の中間に足利義昭邸(最初の二条城ともいわれる)が築かれた。

幕末の京都で、坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺された事件。
左奥が中岡、右奥が坂本で、手前に倒れるのは巨漢の用心棒。

幕末の鳥羽・伏見の戦いで襲撃される伏見奉行所。
戦いは夜まで続き、奉行所は炎上した。

戦国時代、門前町を取り込んで城郭化した寺を、寺内町と呼ぶ。
特に大規模な寺内町、山科本願寺を南西から見た。
現地遺構や絵図から推定復元。
223でもアングルを変えて描いた。
一向宗の総本山だった山科本願寺だが、六角氏と法華宗徒によって焼き討ちされ、一向宗の本拠は石山本願寺へと移行する。

西から見た山科本願寺の想像復元イラスト。
遠方(東側)の城館は、蓮如の隠居地「南殿」。
考証内容は282とほぼ同じ。
現在も本願寺系の寺には、城の櫓のような鐘楼を持つものがある。
瓦葺の寺が城郭化した寺内町は、織豊城郭誕生のヒントになったと想像される。

戦国期の京都を描いた「上杉本洛中洛外図屏風」左隻第二扇に、築地塀の上に乗せた隅櫓が描かれており、これをもとに推定復元した。

田辺城は、192の勝龍寺城と同じく、細川幽斎・忠興の城。
関ヶ原の戦いの際、幽斎が籠城。
西軍の包囲攻撃を受けたが、天皇家の仲裁によって開城した。
その際の配陣図は、当時の城攻めを知る貴重な資料で、これを基に推定復元。
柵で城を包囲し、仕寄りを伸ばして城に迫る様子も、配陣図から描いている。