
千葉県北部の国人井田氏の居城で、戦国末期には北条氏の配下になった。
舌状台地の先端部を用い、堀切で曲輪を区画した関東の台地上の城の典型例。
千葉県北部の国人井田氏の居城で、戦国末期には北条氏の配下になった。
舌状台地の先端部を用い、堀切で曲輪を区画した関東の台地上の城の典型例。
印旛沼の湿地に突き出した、丘陵上の戦国城郭。
北条方の城となっていた時期に、里見氏と上杉謙信の大軍に攻められたが、これを退けたことで名を上げた。
印旛沼周辺には沼を要害として利用した城が多く、261、825の本佐倉城も有名。
国府台合戦は、第一次と第二次の2回あり、いずれも戦いの中心は北条氏と里見氏だったようだ。
市川、松戸付近が主戦場となったが、当時の江戸川は利根川の本流で、現在よりはるかに水量が多かった。
市川市の戦国城郭。戦国時代の関東で特に大規模な戦いだった国府台合戦で、里見氏の援助を得た小弓公方の主城となっていた。
合戦は北条氏が勝利し、北条氏の配下となった千葉氏の城になったと思われる。
千葉氏の城で、のちに北条氏の配下となって大規模化したと思われる。
261で描いたが、その後に発掘された部分(本丸の虎口や建物跡など)を反映させて描いた。
主な空堀がいずれも通路となって、その入り口に門があったことも明らかになっている。
千葉氏の城で、北条氏によって改修されたと思われる戦国城郭。
作画後の調査で明らかになった部分は、825のイラストに反映させた。
関東の低地には、湿地や湖を天然の堀とし、水運にも利用した城が多い。
房総半島の江見に城址が残る山城。文献記録のない謎の城で、里見水軍の主力を担った正木氏が水軍基地として築いたと推定。房総の山城の特徴である、切り立った切岸に囲まれている。