平泉南西部の山あい。岩窟の前面に掛け造りの堂を設けた独特の寺院で、坂上田村麻呂が毘沙門天を祀ったのが始まりとされる。平安末期には、奥州藤原氏によって阿弥陀堂が整備されたと考えられ、その当時をイメージ復元した。
左の摩崖仏は現在も残されており、毘沙門堂も建て替えられたものを見ることができる。
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849 九戸城
豊臣秀吉が奥羽仕置を実施した際に、九戸政実 が反旗を翻した乱で、 政実が籠った城として知られる。その後、蒲生氏郷が改修して本丸を石垣造りにした。蒲生氏の改修後、南部氏が入って、松の丸に御殿を設けた。
台地上に、堀で区画された曲輪が配されるが、それぞれの曲輪の独立性が強い。右下の2つの曲輪も、戦国期にはそれぞれの曲輪を守る武将の屋敷があったと推定される。
549 毛越寺
毛越寺(もうつうじ)は奥州藤原氏の都、平泉に造られた浄土教寺院のひとつで、特に規模が大きいもの。
当時の伽藍は失われているが、池を中心にした庭園が残り、本堂も再建された。
平泉の史跡群として、世界遺産に指定されている。
362 厨川柵
平安時代後期、厨川柵が戦場となった後三年の役の攻防をイメージ。
厨川柵の詳しい構造は不明。
典型的な古代城柵よりも、中世平城に近いとの推定でイメージしている。
357 柳の御所
奥州藤原氏の本拠地、平泉の鳥瞰。
山上の中尊寺や、左の毛越寺など浄土教寺院が点在する。
川に突き出した柳の御所は、藤原氏の居館と推定されている。
135 盛岡城
東北では数少ない総石垣の城。
イラストに描いた江戸後期では、本丸御殿が建増されて、石垣下の段まで広がる珍しい構造となっていた。
134 盛岡城(本丸入口)
江戸時代後期の本丸入口を二の丸から見る。
通常の橋のほか、2つの廊下橋がかけられた複雑な構造。
建て増しを繰り返して、このような形になったと思われる。