徳島を代表する戦国城郭で、三好氏や長曾我部氏の攻防の舞台になった。さらに羽柴秀吉の四国攻めでは長曾我部軍主力が入城。
長曾我部氏が秀吉の軍門に下ると、阿波には蜂須賀氏が入って徳島城を築くが、一宮城も支城として整備。イラストはこの時期を描いている。戦国期の曲輪の多くは放棄され、本丸と明神丸だけが使われたと推定。本丸の石垣は徳島城と同タイプ。
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784 畑山城
阿南市の戦国城郭。
土佐の長宗我部元親が、阿波へ攻め込む際の基地となった。
小さな城だが、そのぶんイラストでは人の動きも表現できた。
279 東山城
阿波別街道と並行する間道を押さえる城。
四国の山城の中でも完成度が高く、主要部には石垣が廻る。
253 勝瑞城
室町時代の勝瑞城。
阿波の守護、細川氏の本拠で、全盛期の細川勝元は応仁の乱の主役。
方形館タイプの平城で、大規模な城下集落と惣構えを持っていたとの推定によって描いた。
786 徳島城
江戸初期の徳島城で、蜂須賀氏による築城当時を推定。
山上の本丸に天守があったが、後に、御殿背後の中腹の曲輪に移された。
周囲は水郷地帯で、川や海岸線の形は現在と大きく異なっている。
87 徳島城 大手口
江戸中期の徳島城を大手口から見る。
左の太鼓櫓は、天守に匹敵するもの。
右上が天守で、創建時(イラスト786)は山上の本丸にあったが、移築された。