844 佐和山城

安土桃山時代 考証 中井均 2019年 『歴史群像 153 2月号』

琵琶湖を望む山城で、石田三成の本拠。
城の東西、両側に城下集落が発達していたと推定している。
左の湿地を隔てた対岸が彦根で、彦根築城の際には、佐和山城の建物を解体して櫓の材に利用したとされる。

775 瀬田の唐橋の戦い

飛鳥時代 考証 来村多加史 2010年『歴史群像シリーズ特別編集 古代天皇列伝』

琵琶湖から流れ出る瀬田川に架かる橋は、古代から重要な橋で、構造も工夫されていたことから「唐橋」と称された。
イラストは飛鳥時代の壬申の乱を描いたもので、瀬田の唐橋が主戦場となった。

674 比叡山焼討ち

安土桃山時代 考証 兼康保明 1990年 歴史群像シリーズ 20 激闘織田軍団』

中世・戦国時代に勢力を誇った比叡山には、広い範囲に伽藍や僧坊が点在し、山麓には門前町が広がっていた。
イラストは、織田信長による比叡山焼き討ちの様子をイメージ。

307 高取山城

戦国時代 考証 中井均 2009年 『歴史群像 93 2月号』

彦根東部の山中にあり、伝承もほとんどない城。
京極氏が軍事拠点として築いたと推定されている。

297 小谷城

戦国時代 考証 中井均 2000年 『歴史群像 44 秋冬号』

浅井氏の居城で、 戦国時代を代表する山城のひとつ。
尾根上に曲輪が連続する。
堅城と詠われたが、織田信長に攻められ落城した。

273 宇佐山城

安土桃山時代 考証 中井均 2003年 『歴史群像 60 8月号』

京と近江を結ぶ街道を見下ろすように造られた、森可成の城。
戦国的な立地の山城だが、中心部に石垣が用いられており、織豊系山城の典型例。

263 観音寺城

戦国時代 考証 中井均 2003年 『歴史群像 63 2月号』

近江の戦国大名、六角氏の居城だった大規模な山城。
石垣も多用されていて、安土城に影響を与えたと言われる。
山裾に接する低い山(右上)に安土城が造られた。

217 坂本城

安土桃山時代 考証 中井均 2002年 歴史群像シリーズ『 俊英明智光秀』

琵琶湖に面した水城で、背後は比叡山。
比叡山焼き討ちの後、明智光秀が比叡山の抑えとして築城。
信長の安土城、秀吉の長浜城などとともに、琵琶湖の水運ネットワークの要の役も担っていたと推定される。

206 内中尾城

安土桃山時代 考証 樋口隆晴 2013年 『歴史群像 122 12月号』

別称玄蕃尾城(げんばおじょう)。
賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家の本陣になったとされる。
短期間で整備された山城で、石垣も使われていないが、中心部は織豊城郭的なプラン。
天守的な大櫓や、渡り櫓門などがあったと推定される。

61 彦根城天守断面

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

彦根城は、徳川家の信頼厚い井伊家の城。
天守は現存し、国宝に指定。
外見は、多数の破風を用いた複雑なデザインだが、内部は穴蔵もなく、各階とも母屋の部屋を入側が取り巻く、ごく一般的な構造。

60 彦根城と佐和山城

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

彦根城築城では、それまでこの地域の中心だった佐和山城から、建物の部材が運ばれて再利用された。
彦根城下から、廃城となった佐和山の城跡を望む。

59 彦根城

江戸時代 考証 香川元太郎 2002年 PHP研究所『名城を歩く』4

三重の堀に囲まれた広大な構えは、譜代大名の筆頭格だった井伊家の城ならでは。
イラスト上は琵琶湖の内湾で、湖水を防御と水運の両面に利用した彦根城は、水城と捉えることもできる。

58 彦根城(創建時)

江戸時代 考証 中井均 2007年 『歴史群像 83 6月号』

彦根城は典型的な平山城。
丘を利用した城の中心部は、曲輪が直線的に並ぶ連郭式の縄張り。
創建当時、まだ表御殿や玄宮園は造られていなかった。

12 安土城本丸御殿透視図

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1994年 世界文化社

信長の居城として知られる安土城の本丸御殿。
本丸下段に礎石が残る。
天皇を迎える御幸御殿だったとの説によって描いた。
天守とその周辺の構造には、多くの説があり、復元案も様々ある。

10 安土城鳥瞰

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年  学研 『戦国の城 総集編』


信長の安土城は革新的な城として知られるが、経済を重視した大規模な城下町も画期的だった。
城下町には多くの水路(運河)が入り込んでいたことが、明治期の地図から推定される。