58 彦根城(創建時)

江戸時代 考証 中井均 2007年 『歴史群像 83 6月号』

彦根城は典型的な平山城。
丘を利用した城の中心部は、曲輪が直線的に並ぶ連郭式の縄張り。
創建当時、まだ表御殿や玄宮園は造られていなかった。

12 安土城本丸御殿透視図

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1994年 世界文化社

信長の居城として知られる安土城の本丸御殿。
本丸下段に礎石が残る。
天皇を迎える御幸御殿だったとの説によって描いた。
天守とその周辺の構造には、多くの説があり、復元案も様々ある。

10 安土城鳥瞰

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年  学研 『戦国の城 総集編』


信長の安土城は革新的な城として知られるが、経済を重視した大規模な城下町も画期的だった。
城下町には多くの水路(運河)が入り込んでいたことが、明治期の地図から推定される。

9 安土城鳥瞰

安土桃山時代 考証 香川元太郎 2003年  PHP研究所 『名城を歩く』13

織田信長の安土城。
城の周辺は明治以降、干拓されて水田が開発されたが、当時は琵琶湖の内湾が入り込んで半島状になっていた。
ここでは、イラスト10に近いアングルから、より大きく描いた。

8 安土城の石垣作り(穴太衆)

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年 世界文化社

安土城天守台を想定し、石垣づくりの様子を想像した。図の要点は、まず版築土塁を築き、その外側に石垣を積んで、間に裏込めを入れている。中央の斜路は江戸時代の数学書から描いた。

7 安土城鳥瞰

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1997年 コーエー『信長の野望・将星録』マニュアル

東からの鳥瞰で、右下はかつて六角氏の本城だった観音寺城。
山の規模は観音寺城の方が大きい。

6 摠見寺

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1997年『歴史群像シリーズ 51 戦国合戦大全』下巻

織田信長が安土城内に建立した寺。
堂内には、須弥山をイメージした盆があったとされる。
安土城が廃城となった後も、寺は存続した。

5 安土城鳥瞰

安土桃山時代 考証 秋田裕毅 1997年『歴史群像シリーズ 51 戦国合戦大全』

南西からの鳥瞰。
9、10のイラストに近いアングルだが、ここでは街道や周囲の集落なども見せた。
右端の山が観音寺城。

3 安土城鳥瞰

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1995年 2022年加筆

南東からの鳥瞰。
背後に琵琶湖と、その内湖である「中の湖」が広がっている。
城内には石垣作りの曲輪が多数あり、それぞれが家臣たちの屋敷となっていた。

2 安土城鳥瞰

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1995年 世界文化社『日本の城』
2021 加筆修正

大手となる南側からの鳥瞰。
安土城は、石垣と瓦葺の建築が多用された。
大手道は、山の中腹まで直線的に上がる石段で、「見せる」要素が重視されていたといわれる。

4 安土城天守

安土桃山時代 考証 西ケ谷恭弘、香川元太郎 1994年 世界文化社『日本の城』

安土城天守を、外観は西ヶ谷案を用い、内部は香川が推定して描いた。
天守は信長の居館でもあった。
内部は、信長公記などに詳しい記述が残されているが、外観や全体像には不明点も多く、復元案が幾つもある。

1 安土城本丸御殿

安土桃山時代 考証 西ケ谷恭弘 2003年  PHP研究所 『名城を歩く』13

安土城は、織田信長の最後の居城で、その後の城に多大な影響を与えた。
本丸御殿は天守の一段下に設けられたもので、天皇を迎えるための御幸御殿と推定されている。