
現在の城跡公園は本丸と二の丸だが、かつてはその外側に三の丸が広がっていた。
深志城と呼ばれた戦国時代の縄張りを踏襲しており、虎口を守る馬出しに武田氏の築城法を見ることができる。
現在の城跡公園は本丸と二の丸だが、かつてはその外側に三の丸が広がっていた。
深志城と呼ばれた戦国時代の縄張りを踏襲しており、虎口を守る馬出しに武田氏の築城法を見ることができる。
現存する松本城天守だが、解体工事の結果、当初は最上階に廻り縁があったと推定された。
破風の形も現在と違いがあった。
本丸がある東北側から見ており、反対側の面は163に描いている。
松本城天守前の堀の断面。
堀は広いが案外浅い。
中央の埋門には、現在赤い橋が架けられているが、江戸時代に橋はなかった。
右下は天守石垣を支える地業の様子。
石垣がずれないよう、梯子胴木が用いられている。
二の丸、三の丸で多用されていた塀で、敵に横矢をかけるための工夫。
松本城では、2種類のパターンが併用された。
創建時の松本城天守を、南西側から見る。
解体修理から推定された破風を描いており、反対側の面は166に示している。
その後、天守の右側に付櫓と月見櫓が増築された。