852 鳥取城 攻囲戦

安土桃山時代 考証 細田隆博 2020年 『歴史群像 161 6月号』

1581年、織田信長のもとで中国攻めを行なっていた羽柴秀吉は、鳥取城を攻略するため、巨大な包囲網を作り上げた。
中央が鳥取城。千代川に面した湊を持つ丸山城まで、連続した補給路を作り上げていたが、秀吉方はこれを分断、鳥取城は餓死者が出るほど飢えに苦しみ降伏した。
手前の一段と大きい陣城は、「太閤ヶ平(たいこうがなる)」と呼ばれる本陣で、信長を迎えるための城との説が有力。

834 米子城

江戸時代 考証 加藤理文 2018年『 歴史群像 150 8月号』

安土桃山時代に吉川広家が築城し、慶長年間に中村一忠が改修して完成させた。
イラストは中村氏時代で、当時は吉川時代の曲輪も使われていたと想定している。

810 鳥取城攻防戦

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 PHP研究所 『よみがえる日本の城』

戦国期に山名氏が築城。
尼子氏、毛利氏の争奪の地となった。
毛利方の将が篭る城を、信長配下の羽柴秀吉が攻めた際には、多数の陣城が鳥取城を包囲し、大規模な兵糧攻めが行われた。
鳥取城は、江戸時代にも近世城郭に改修されて存続する。