戦国時代、国人領主の矢部氏の城で、尼子氏が攻め落とした歴史もある。信長の中国攻めで秀吉が鳥取城を落すと、鬼ヶ城には木下重堅が配されて関ヶ原合戦まで居城とした。この期間に織豊城郭に改修されたと思われる。戦国時代の城跡の中心部が堅固な惣石垣で築城され、半地下式と思われる天守も大きい。江戸時代になると山崎氏が配されるが、元和年間に改易、廃城となる。城は、意識的に城割が行われた遺構としても貴重とされる。
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2084 羽衣石城
中央の羽衣石城(うえしじょう)は、国人領主南條氏の城。
織田信長配下の羽柴秀吉が、吉川氏が籠る鳥取城を包囲するのと相前後して、南條氏は秀吉方に付いた。
城の周辺には左下の「太閤ヶ平」など、秀吉軍の築城と思われる大規模な陣城跡が残されている。
鳥取城は秀吉方が落とすが、その後秀吉軍が撤退した隙に、羽衣石城は吉川方が攻め落とした。
852 鳥取城 攻囲戦
1581年、織田信長のもとで中国攻めを行なっていた羽柴秀吉は、鳥取城を攻略するため、巨大な包囲網を作り上げた。
中央が鳥取城。千代川に面した湊を持つ丸山城まで、連続した補給路を作り上げていたが、秀吉方はこれを分断、鳥取城は餓死者が出るほど飢えに苦しみ降伏した。
手前の一段と大きい陣城は、「太閤ヶ平(たいこうがなる)」と呼ばれる本陣で、信長を迎えるための城との説が有力。
834 米子城
安土桃山時代に吉川広家が築城し、慶長年間に中村一忠が改修して完成させた。
イラストは中村氏時代で、当時は吉川時代の曲輪も使われていたと想定している。
810 鳥取城攻防戦
戦国期に山名氏が築城。
尼子氏、毛利氏の争奪の地となった。
毛利方の将が篭る城を、信長配下の羽柴秀吉が攻めた際には、多数の陣城が鳥取城を包囲し、大規模な兵糧攻めが行われた。
鳥取城は、江戸時代にも近世城郭に改修されて存続する。