858 大野城

安土桃山時代  考証 加藤理文  2021 年 『歴史群像165 2月号』

天正年間、織田信長の家臣だった金森長近が築城。長近は豊臣政権下で飛騨高山に移るが、城は江戸時代にも城主を変えながら存続した。江戸中期の絵図や平面図から、二階建ての御殿を連結させた特殊な天守があったことが知られている。飛騨高山城の天守も、御殿と一体となった特殊なもので、どちらも金森長近の構築と考えられている。

2047 国吉城

安土桃山時代 考証 中井均・大野康弘(若狭国吉城歴史資料館館長)2019年 歴史群像156 8月号
若狭国吉城歴史資料館蔵

戦国時代に粟屋氏が築き、越前の朝倉氏を何度も撃退して「難攻不落」と謳われた城。
その後の経緯を経て羽柴秀吉の配下にあった時、柴田勝家との緊張が高まり、決戦に向けて改修される様子を想定した。
城は、その後江戸初期まで存続し、改修を重ねている。

471 吉崎御坊

戦国時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『ビッグマンスペシャル 浄土と地獄』

戦国時代、北陸の一向宗の中心となった寺内町。
1世紀もの間、戦国大名の支配を排して一向一揆を継続させ、独立国的な存在となっていた。

358 燧ヶ城

平安時代 考証 山本勝士 1994年 『歴史群像シリーズ 36 平清盛』

燧ケ城(ひうちがじょう)は、源氏と平氏が争った平安末期の山城。
シンプルな痩せ尾根上の山城で、北陸の反平氏勢力が篭り、麓の川をせき止めて水堀にしたとされる。
平維盛を大将とする平氏が、堀の堰を壊して城を攻め落とした。

267 一乗谷城

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

戦国大名朝倉氏の本拠地。
上木戸、下木戸に挟まれた谷の中に、朝倉氏館を始めとする武家屋敷や寺院、町屋が混在する都市が広がっていた。
東の山上には山城が築かれている。
265のイラストでは、西の尾根にも出城が連続すると考証しているが、ここでは表現していない。

265 一乗谷城

戦国時代 考証 小野正敏・青木豊昭 1998年  歴史群像シリーズ 54 『元亀 信長戦記』

戦国大名朝倉氏の本拠。
一乗谷山城や朝倉館をはじめ、館や城が点在し、谷全体を守る惣構が形成されていた。
城下集落跡では、家臣の屋敷のほか町屋も多く発掘されて、戦国時代の生活を知る貴重な資料となっている。

202 北ノ庄城

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1995年 世界文化社ビッグマンスペシャル『太閤秀吉』

柴田勝家の居城で、織田家の筆頭家老にふさわしい壮大な天守があったというが、秀吉に攻められ落城した。
城跡は後に福井城となったため、当時の状況には不明点が多い。

171 丸岡城天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

丸岡城は小規模だが天守が現存し、最も古い天守と言われていた。
調査の結果、最古ではないことが分かったが、古い天守の形を伝えるものと考えられている。
屋根は珍しい石瓦葺で、当初はこけら葺だった可能性もある。
かつては入り口の石段に踊り場があったと推定されており、これを復元して描いた。

327 丸岡城屋根説明図

江戸時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

丸岡城天守最上階の屋根をモデルにした説明図。
左はこけら葺き、中央が現状の石瓦葺、右は通常の瓦の場合を想定して描いている。