325 田中城

戦国時代 考証 西股総生 2007年『歴史群像 85 』

熊本県北部の戦国山城。
豊臣政権下、肥後に配された佐々成政に国人たちが反発、「肥後国人一揆」が起こる。
一揆軍は田中城に入り、秀吉方の大軍を相手に籠城した。
下には寄せ手の仕寄も描いている。

117 熊本城宇土櫓

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

熊本城の現存櫓の中で、最も目立つ宇土櫓の内部を見せた。
地上5階、地下1階の大型櫓で、別名「三の天守」と呼ばれた。

116 熊本城本丸

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

熊本城の本丸と天守内部を、北東から見る。
手前は、本丸北の一角にある通路で、狭い地下道を経て本丸北の空堀に抜けることができる。

115 熊本城創建時

江戸時代 考証 加藤理文 2012年『歴史群像 111』

加藤清正が築城した当時を推定復元。
詳細は不明だが、築城時の縄張りや建物は、後の細川時代とは異なる部分があったと思われる。

114 熊本城天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年  学研『名城の天守総覧』

南東から見た天守と小天守の断面。
いずれも石垣内の地下室(石蔵)がある。
小天守地下には井戸とかまどが設けられていた。

113 熊本城

江戸時代 考証 香川元太郎 2003年 PHP研究所『名城を歩く』10

幕末期の熊本城。
熊本城には、清正公石垣と呼ばれる雄大な石垣が築かれ、天守や小天守以外に五階櫓が5つも立ち並んでいた。
加藤氏が改易となった後は細川氏が入り、大規模な改修を行って、西大手門などを新設したと思われる。

446 出島

江戸時代 考証 香川元太郎 2005年 学研『日本の歴史 パノラマ絵地図5』

長崎の出島、江戸中期から後期頃を想定。
出島は江戸時代の間、オランダや清との貿易に開かれた、日本唯一の海外への窓だった。

316 島原の乱

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年 世界文化社

島原の乱図屏風などを資料に、攻防の様子をイメージ。
板塀は、船板を利用したものもあったとの記録から描いている。

238 原城

戦国時代 考証 香川元太郎 2000年『歴史群像シリーズ 62『徳川家光』

戦国時代の城で、江戸時代には廃城となっていたが、島原の乱の際、一揆軍が新たに整備して立て籠もった。
天守的な大櫓や、瓦葺の建物は想像で描いている。

349 吉野ケ里遺跡

弥生時代 考証 香川元太郎 1998年 世界文化社『ビッグマンスペシャル 暴かれた古代日本』

弥生時代に多数造られた環濠集落の遺跡の中でも、最も大規模なもの。
時代によって変遷がある。

343 基肄城 全体

奈良時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社 『日本の城』

基肄城は、大宰府の背後を守る古代山城。
大野城とともに、朝鮮式の築城法を導入して造られたことが「日本書紀」にも記されている。
尾根筋に版築土塁の城壁を築き、小川などのある谷には石垣を築くのが古代山城の典型的な形。
古代の大宰府は329など福岡県のページに掲載。

335 基肄城城門

奈良時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

太宰府(福岡県)の背後に築かれた古代山城。
谷の入り口の城門を推定復原。
石垣や、石垣の下から川の水を通すための水路は現在も残っている。

147 名護屋城一帯

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『ビッグマンスペシャル秀吉の城』

肥前名護屋城は、豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵の、日本での本陣となった城。
周辺には、出兵する大名たちがそれぞれに陣城を設け、一大軍事基地が出現した。
半島部を南東から見る。

106 名護屋城

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年 世界文化社『ビッグマンスペシャル豊臣秀吉』

豊臣秀吉が、朝鮮を攻めるための本陣として築城した。
南西から中心部を見る。
建物は「肥前名護屋城屏風」からの推定復元。
147でも別角度から描いている。

685 高城 (新納院)

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社

日向には「高城」が複数存在し、区別のために「新納院・高城」とも呼ばれる。
台地先端の要害を利用した城。
大友宗麟と島津氏が激突した第一次高城川(耳川)合戦と、豊臣秀長と島津氏が戦った第二次高城川合戦で、主戦場となる。
いずれも、高城の籠城戦に野戦が加わって大合戦となった。