
イラストは津山城の天守曲輪。
本丸の中でも特に堅固な独立空間となっていた。
天守は、一部に板庇があるところが個性的。

イラストは津山城の天守曲輪。
本丸の中でも特に堅固な独立空間となっていた。
天守は、一部に板庇があるところが個性的。

備中高松城は、湿地に囲まれた戦国時代の平城。
毛利氏配下にあったが、羽柴秀吉によって水攻めされたことで有名。
城攻め中に本能寺の変が起こるが、秀吉は急遽交渉を行い、開城に持ち込んだ。

岡山城に現存する建物の中でも特徴的な櫓。
城外に面した側は、2層で戦闘的な造り。
城内側は3層で、月見もできる開放的な造りが見られる。

岡山城に現存する櫓のひとつ。
一階と二階が同じ大きさの重箱櫓で、一階は倉庫的だが、二階の城内側は住宅的な造り。

広島城や姫路城とともに山陽道を代表する城。
白い姫路城が「白鷺城」と呼ばれるのに対し、下見板張りの黒い外観から「烏城」と呼ばれる。
対岸の後楽園(下)も名園として知られる。

備中松山城は、近世山城の代表例。
小振りながら天守が現存するほか、城下町の風情もよく保存されている。
戦国時代の山城を利用して築かれ、近世の城の背後の尾根に戦国期の遺構が残されている。

因島北西岸の戦国城郭。
半島状の丘に曲輪が点在する城で、因島村上水軍の拠点だったと思われる。
西瀬戸内海で威を誇った村上水軍(村上海賊)は、三家に分かれ、 因島村上家は北の地域を配下にした。
来島村上家、能島村上家の本拠は愛媛県(2010,2014)。

広島に入った福島政則が、山口に改易となった毛利氏への押さえとして築城。
城址では発掘調査や石垣整備が行われている。
築城後数年で廃城となっているため、近世平山城の初期の姿を知ることができる。

広島城は毛利氏が築城し、福島正則によって完成した。
大手口の前にある曲輪は「二の丸」と呼ばれるが、実質は角馬出。
広い水堀に囲まれており、本丸だけでも防御性は極めて高い。

本丸角の天守は、2基の小天守を多聞でつなぐ重厚な構成。
腰曲輪を回し、梯子胴木を用いるなど、低湿地に対応した構造。天守内部の詳細は推定で描いている。

太田川河口の三角州に造られた大規模な城。
整然とした曲輪配置で、防御のポイントを虎口に集中させる典型的な近世平城。
外郭には多数の二重櫓が配されており、壮観を誇ったと思われる。

朝鮮王朝の通信使を警護する毛利水軍。
朝鮮通信使は、江戸時代を通じて計12回来日し、江戸時代に異国文化をもたらす貴重な外交使節だった。

源平合戦の最後となる壇ノ浦の合戦、想像イラスト。
源氏が勝利し、平家方に同行していた幼少の安徳天皇は、女御たちと入水した。
平家の船団には「唐船」があったとされ、遣唐使船の復元考証を参考にイメージした。

源平合戦の最後の決戦となった壇ノ浦の戦場を東から鳥瞰。
右が山口県、左が福岡県になる。
東から平家の勢力を駆逐してきた源義経らの軍を、西から平家方が迎え撃った。

戦国時代の山口を領した守護大名、大内氏の居館とその周辺を想像復元。
中国との貿易も行なった大内氏は、戦国時代前期には全国でも最も力のある大名だったが、中国地方の覇権は、家臣の陶氏へ、毛利氏へと移っていく。