195 山崎城

安土桃山時代 考証 中井均 2008年『歴史群像 91』

羽柴秀吉が明智光秀を破った山崎の合戦で、秀吉側の拠点となった天王山に築かれた山城(織豊城郭)。
合戦後に築城され、しばらくの間、秀吉の居城となった。

192 勝龍寺城

安土桃山時代 考証 中井均 2011年『歴史群像 110 』

京都南西部にあった歴史ある中世城郭。
細川幽斎によって大規模に改築され、天守も造られたと思われる。
細川忠興、ガラシャ夫妻も住んだ。

73 二条城(江戸前期)

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年  PHP研究所 『名城を歩く』20

徳川家光時代、寛永期の二条城。
後水尾天皇の行幸に向けて大改築された直後を想定。
現存する二の丸御殿(現在は瓦葺きだが、当時は檜皮葺だったと思われる)のほか、本丸御殿や天守もある堂々たる構えだった。

72 二条城廊下橋

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

本丸入口に掛けられた橋を南から見る。
橋は2階建ての廊下橋で、二の丸御殿から、本丸御殿へ外を通らずに直接行き来することができた。

71 二条城御殿

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

南南西から鳥瞰し、現存する建物は、屋根を透かせて部屋割りを見せている。
かつては屋根が檜皮葺で、能舞台(手前)などもあった。
右上の瓦葺建物は台所。
御殿はここに描いた以外に、画面左下にも広がっていた

70 二条城(創建時)

江戸時代 考証 中井均  2010年『歴史群像 100』

幕府が築城した二条城の、初期の状態を想定し、北から描いた。
当時は、現在の二の丸部分だけの城だったとの推定によっている。
二条城は、京都の為政者の城として、戦国時代から何度も築城されたと考えられている。

69 二条城天守

江戸時代 考証 香川元太郎  1997年 世界文化社 『日本の城』

寛永期の二条城天守。幕府の大工棟梁を勤めた中井家に、柱組の立面図が残されている。
大坂城や江戸城の天守とよく似た意匠の、層塔式天守だったと推定される。

56 伏見城鳥瞰

安土桃山時代 考証 中井均 2001年 『歴史群像 49』

伏見城は、豊臣秀吉が築いた壮大な隠居城。
伏見の戦いで主要部が焼失したが、その後、徳川幕府によって再建され、大坂の陣が終わると廃城とされた。
縄張りなどの調査記録は、古いものしか無い。
しかし立ち入り禁止区域だけに、現在も地形はよく保存され、昔の調査もほぼ正確と確認されている。

55 伏見城落城

安土桃山時代 考証 中井均 2006年『新・歴史群像シリーズ①関ヶ原の戦い』

関ヶ原の戦いの前哨戦で、炎上する伏見城。
伏見城には徳川方の鳥居忠元が籠り、西軍の猛攻に耐えたが、内通者によって火災がおき、落城したという。

54 伏見城城下町

安土桃山時代 考証 山田邦和 2001年

伏見城の城下を東から見る。
城下には総構えの外堀が巡らされていた。
左下の川沿いの道は、秀吉が桜並木を植えたとされる。
城の考証はほぼ53と共通。

53 伏見城と巨椋池

安土桃山時代 考証  山田邦和   2002年 歴史群像シリーズ「図説戦国女性と暮らし」(2011年掲載)

伏見城の南(イラスト上方)には近世まで湖(巨椋池)があった。
豊臣秀吉は、始めは湖に面した向島に伏見城を築いた(中央上部・指月伏見城)。
しかし建設中に地震で倒壊、場所を丘陵上に変えて築城された(木幡山伏見城)。

52 伏見城中心部

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1996年  『ビッグマンスペシャル 秀吉軍団』

伏見城の中心部イメージ。
建物は想像の域を出ないが、豊臣秀吉の隠居城であり、文禄の役の講和交渉で明の使者を迎える目的があった(地震のため工事が遅れ、使者は大坂城で迎える)ことなどから、贅を尽くした城だったと思われる。

57  聚楽第

安土桃山時代 2002年

伝長谷川等伯筆「聚楽第図」(現在行方不明)を模写・補足した図。
イラスト25よりさらに原画に近いもので、城の復元イラストとは別物。

25  聚楽第イメージ

安土桃山時代 2002年 考証 香川元太郎

伝長谷川等伯筆「聚楽第図」(現在行方不明)をもとにしたイメージ復元。
聚楽第は秀吉が京都市中に構えた城。有名だが存続期間は短く、現在ではやっと場所が推定できる程度の謎の城。
具体的な復元資料は、上記の図と「聚楽第図屏風」など、わずかしかない。

538 伊勢神宮

古代〜現代 考証 香川元太郎 1997年 『分解図鑑 日本の建造物』

内宮本殿の建築構造を表現した。
棟持柱など、古代の建築様式を今に伝える。
20年に一度の式年遷宮によって建て替えられる。