
徳川家康が隠居城として築いた。
四角い縄張りの平城で、近世城郭の完成形と言える。
天守の大きさも屈指の規模だった。

徳川家康が隠居城として築いた。
四角い縄張りの平城で、近世城郭の完成形と言える。
天守の大きさも屈指の規模だった。

牧ノ原台地上にある戦国城郭。
武田勝頼の前線基地だったが、長篠合戦の後、徳川家康が攻め落とす。
徳川氏のもとで牧野城と名を変え、外郭の曲輪等も増設された。
イラストは徳川期を想定。
815では逆のアングルから見ている。

諏訪原城は牧之原台地の縁に武田氏が築城した。
東の斜面から見ると山城だが、このように西の台地側から見ると平城的。
遠景に大井川を入れて描いた。
徳川氏による増設が完成し、家康が見分に訪れた状況を想定。
発掘調査で、大規模な三日月堀も徳川時代の工事によるものと推定された。

武田勝頼が遠江進行の前線基地として築城。
のちに徳川氏が攻め落とし、牧之原城と名付けて改修した。
イラストは武田時代を想定した復元。
その後の発掘調査で、大型の丸馬出しは徳川氏の構築と判断されたが、武田時代から馬出が存在した可能性もある。

北条氏の水軍の根拠地。
下田港を見下ろす山の上に造られている。
畝堀(障子堀)を備えた長い横堀があり、北条氏の発達した城造りを見ることができる。

今川氏配下の城だったが、のちに武田氏の城となり、武田の重臣山県昌景も城主となった。
武田氏が築いた山城の傑作とされるが、丸馬出しは、徳川氏の増設との説もある。

海に突き出た山を要塞化した城。
伊豆半島西岸にあり、北条氏水軍の前線基地。
軍港も備えていたと推定される。

遠江の山城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。
254,314でも描いたが、このイラストは西股氏の考証による復元。
武田方が徳川軍を迎え撃つ直前を想定し、逆茂木を多数並べている。

高天神城は、武田氏が遠江支配の拠点としていた。
ここでは、武田方が籠城する城を、徳川軍が囲んだ様子を想定。
長篠合戦後、劣勢になった武田方は城を後詰することができず、城は壮絶な最後を遂げた。

遠江を代表する山城。
武田氏と徳川氏が激しく戦ったことで知られる。
谷を挟んで2つの城が連結したような縄張りは、「一城別郭」の好例と言われている。

守護大名の居館にふさわしい建物と、庭園を備えていた。
背後の山は富士山。
手前の土塁は、一部切り取って建物を見せている。
周囲も含めた鳥瞰は 252で描いた。

今川義元の館は、守護大名の格式を備えた「方形館」と呼ばれる四角いプランの平城。
城下集落や、それを囲む総構えもあったと思われる。

伊豆の修善寺温泉近くに築かれた山城。
大規模な堀切と、トーチカ的な曲輪を備えた堅固な構造が特徴。

北条氏(後北条氏)の始祖、北条早雲の城。
イラストは、豊臣秀吉の北条攻めで、城が包囲された状況を想定。
周辺の山上には陣城が造られ、平地では土塁などが城を囲んだと推定されている。

「小長谷城」とも書く。
大井川上流の山間部に築かれた城で、武田氏によって拡張され、重ね馬出を備えた攻撃的な縄張りとなった。