361 鎌倉鳥瞰

鎌倉時代 考証 香川元太郎 2003年 あすなろ書房『衣食住に見る日本人の歴史3』

中世の鎌倉を南から見る。
鎌倉を囲む山上には切岸による防衛線が巡らされ、「切り通し」と呼ばれる虎口が設けられた。
海岸線は今よりも深く入り込み、鶴岡八幡宮の一の鳥居は海岸に面していた。
東の和賀江島は人工の堤防。

351 環濠集落を巡る戦い

弥生時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

横浜市の大塚遺跡をモデルにした、環濠集落の断面。
柵は、平坦部の縁ではなく、堀の外の土塁上に立てられており、柵を越えようとする敵を狙い撃つ戦い方が想定される。

350 大塚遺跡

弥生時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『日本の城』

横浜市にある弥生時代の環濠集落で、イラスト上部の歳勝土遺跡は、多数の墓が並んでいる。
大規模発掘調査で、環濠や柵の跡などが発見された。
現在は史跡公園となり、復元された住居なども見学できる。

837 三崎城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018月 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

北条市の水軍の拠点のひとつ。
293と逆方向から見て、左下の外郭線ラインも異なる考証で描いている。
戦国期を含む中世には、川の河口部が広い潟湖状になり、港として使われる例が多い。

293  三崎城

戦国時代 考証 西股総生 2003年『歴史群像 57』

三浦半島先端部の城で、 奥に見えるのは城ヶ島。
三浦氏が築城したものを、北条氏が配下に収めて改修したと推定される。
北条氏の水軍の拠点で、しばしば安房の里見氏に攻められている。

839 石垣山城

安土桃山時代 考証 2018月 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

石垣山城は、豊臣秀吉が小田原攻めのために築いた大規模な陣城。
イラストは城が完成した時を想定。
小田原攻めの際には211のように建設途中だったかもしれないが、その後も工事が続けられて、天守も完成したと推定した。

211 石垣山城建造中

安土桃山時代 考証 西股総生 2011年『歴史群像 106』

豊臣秀吉が小田原攻めの拠点として築城。
石垣山一夜城とも呼ばれる。
小田原開城の際には、まだ天守や櫓は完成していなかったとの推定で描いた。
秀吉の城の場合、通常は瓦葺きに推定する塀なども、板葺きと想定している。

201 石垣山から見る小田原

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年 世界文化社『ザ・ビッグマン8月号』

豊臣秀吉が小田原攻めの拠点とした石垣山城から望む小田原城。
城址からは小田原城がギリギリ見える程度で、小田原からも石垣山城の低い部分(曲輪の裾など)は見えない。
あらかじめ築城を進め、小田原側の木を伐採すれば、一夜で城が建ったように見えたかもしれない。

200 石垣山城

安土桃山時代 考証 香川元太郎 1993年 世界文化社『ザ・ビッグマン8月号』

秀吉による小田原攻めの本陣。
手前は石敷きの「太閤道」。
現地には天守台跡をはじめ、大規模な石垣が崩壊した状況が残されている。

132 小田原城

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年 PHP研究所『名城を歩く』18

江戸時代の小田原城で、北条氏の小田原城跡を利用して築城された。
江戸時代にも、背後の山に戦国時代の空堀が多数残っていたことが、幕末期の絵図からわかる。
現在、イラスト上部の山は鉄道工事によって削られている。

130 小田原城天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年 『名城の天守総覧』

江戸時代の天守は木造の模型が残されており、それらから復元。
現在も、概ねこれと同じ形の天守が復元されている。

133  小田原城の堀

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社 『日本の城』

小田原城では障子堀と呼ばれる独特の堀が多用された。
発掘で検出された堀をモデルにしており、櫓や塀などは推定で加えた。

131 小田原城

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年  世界文化社『日本の城』 2024年修正

北西から見た戦国期の小田原城。北条氏の本拠地で、上杉謙信、武田信玄の攻撃もはね返した。イラストは上杉謙信の攻撃を想定。
小田原城は大城郭として知られるが、巨大な惣構えは秀吉の小田原攻め間近に構築されたもので、この時はまだ造られていない。
2024年、近年の研究成果を反映させるよう修正。

795 滝山城

戦国時代 考証 香川元太郎 2016年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

東京を代表する戦国の城。
北条氏が武蔵地方の拠点としていた。
空堀と土塁を組み合わせ、角馬出と横矢がかりを多用する北条流縄張りの例。

742 葛西城

戦国時代 考証 西ヶ谷恭弘 1990年 『東京の一万年 上巻』

中央の館を中心に発達した、戦国時代の平城の典型例。
川と低湿地を利用した水堀で、防備を固めていた。
第一次国府台合戦で北条方の出撃基地となり、その際の状況を想定している。