石垣山城は、豊臣秀吉が小田原攻めのために築いた大規模な陣城。
イラストは城が完成した時を想定。
小田原攻めの際には211のように建設途中だったかもしれないが、その後も工事が続けられて、天守も完成したと推定した。
投稿者: さちたろう
211 石垣山城建造中
豊臣秀吉が小田原攻めの拠点として築城。
石垣山一夜城とも呼ばれる。
小田原開城の際には、まだ天守や櫓は完成していなかったとの推定で描いた。
秀吉の城の場合、通常は瓦葺きに推定する塀なども、板葺きと想定している。
201 石垣山から見る小田原
豊臣秀吉が小田原攻めの拠点とした石垣山城から望む小田原城。
城址からは小田原城がギリギリ見える程度で、小田原からも石垣山城の低い部分(曲輪の裾など)は見えない。
あらかじめ築城を進め、小田原側の木を伐採すれば、一夜で城が建ったように見えたかもしれない。
200 石垣山城
秀吉による小田原攻めの本陣。
手前は石敷きの「太閤道」。
現地には天守台跡をはじめ、大規模な石垣が崩壊した状況が残されている。
132 小田原城
江戸時代の小田原城で、北条氏の小田原城跡を利用して築城された。
江戸時代にも、背後の山に戦国時代の空堀が多数残っていたことが、幕末期の絵図からわかる。
現在、イラスト上部の山は鉄道工事によって削られている。
130 小田原城天守
江戸時代の天守は木造の模型が残されており、それらから復元。
現在も、概ねこれと同じ形の天守が復元されている。
133 小田原城の堀
小田原城では障子堀と呼ばれる独特の堀が多用された。
発掘で検出された堀をモデルにしており、櫓や塀などは推定で加えた。
131 小田原城
北西から見た戦国期の小田原城。北条氏の本拠地で、上杉謙信、武田信玄の攻撃もはね返した。イラストは上杉謙信の攻撃を想定。
小田原城は大城郭として知られるが、巨大な惣構えは秀吉の小田原攻め間近に構築されたもので、この時はまだ造られていない。
2024年、近年の研究成果を反映させるよう修正。
795 滝山城
東京を代表する戦国の城。
北条氏が武蔵地方の拠点としていた。
空堀と土塁を組み合わせ、角馬出と横矢がかりを多用する北条流縄張りの例。
742 葛西城
中央の館を中心に発達した、戦国時代の平城の典型例。
川と低湿地を利用した水堀で、防備を固めていた。
第一次国府台合戦で北条方の出撃基地となり、その際の状況を想定している。
467 江戸の裏長屋
裏長屋は、表通りの商家が大家となり、裏の敷地に設けるのが典型。
狭い路地の中には、共同井戸や便所、稲荷神社などもあった。
左が、特に狭くて風通しも悪い棟割長屋で、独り者の男が住む例が多かった。
466 参勤交代の大名行列
大名行列が江戸の町に差し掛かった所を想定。
領地を出る際には必ずしも大行列ではなかったが、江戸に入る時には臨時雇いで人数をそろえ、体裁を整えることも多かったという。
440 新宿の闇市
闇市は、戦後の焼け跡で自然発生したが、やがてテキヤなどが仕切るようになる。イラストに描いた新宿東口和田組マーケットのように、整理された商店街も現れた。
5年ほど活況を呈したが、GHQの圧力で解体された。
432 鹿鳴館
鹿鳴館は、文明開化の象徴として有名。ヨーロッパ式の舞踏会などが開かれた。
しかし、その存続時期は意外に短い。
イラストでは、内部構造を細かく割って見せた。
429 後楽園球場
ドーム化される以前の球場で、王貞治がホームラン数の世界新記録を達成した際の状況を、可能な限り再現した。