818 山中城

戦国時代 考証 加藤理文 2017年 学研「山城ガイド」

羽柴(豊臣)秀吉による小田原攻めの際、北条方の最前線基地として、東海道を塞ぐように築城された。
障子堀が多用され、北条流築城の粋を集めた城だったが、豊臣方は圧倒的な大軍で、激戦の末1日で落城した。

783  駿府城

江戸時代 考証 加藤理文 2015年 『歴史群像 129 2月号』

徳川家康が隠居城として築いた。
四角い縄張りの平城で、近世城郭の完成形と言える。
天守の大きさも屈指の規模だった。

796 諏訪原城

江戸時代 考証 香川元太郎 2016年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

牧ノ原台地上にある戦国城郭。
武田勝頼の前線基地だったが、長篠合戦の後、徳川家康が攻め落とす。
徳川氏のもとで牧野城と名を変え、外郭の曲輪等も増設された。
イラストは徳川期を想定。
815では逆のアングルから見ている。

2030 諏訪原城

戦国時代 考証 加藤理文 2017年 歴史群像 146 12月号 加筆2018 島田市蔵

諏訪原城は牧之原台地の縁に武田氏が築城した。
東の斜面から見ると山城だが、このように西の台地側から見ると平城的。
遠景に大井川を入れて描いた。
徳川氏による増設が完成し、家康が見分に訪れた状況を想定。
発掘調査で、大規模な三日月堀も徳川時代の工事によるものと推定された。

322  諏訪原城

戦国時代 考証 中井均 2001年 学研『戦国の堅城』

武田勝頼が遠江進行の前線基地として築城。
のちに徳川氏が攻め落とし、牧之原城と名付けて改修した。
イラストは武田時代を想定した復元。
その後の発掘調査で、大型の丸馬出しは徳川氏の構築と判断されたが、武田時代から馬出が存在した可能性もある。

305  下田城

戦国時代 考証 樋口隆晴 2012年 『歴史群像 114 8月号』

北条氏の水軍の根拠地。
下田港を見下ろす山の上に造られている。
畝堀(障子堀)を備えた長い横堀があり、北条氏の発達した城造りを見ることができる。

258  丸子城

戦国時代 考証 西股総生 2006年 『歴史群像 76 4月号』

今川氏配下の城だったが、のちに武田氏の城となり、武田の重臣山県昌景も城主となった。
武田氏が築いた山城の傑作とされるが、丸馬出しは、徳川氏の増設との説もある。

257 長浜城

戦国時代 考証 西股総生 2007年 『歴史群像 84 8月号』

海に突き出た山を要塞化した城。
伊豆半島西岸にあり、北条氏水軍の前線基地。
軍港も備えていたと推定される。

317  高天神城

戦国時代 考証 西股総生 2010年 『歴史群像 104 12月号』

遠江の山城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。
254,314でも描いたが、このイラストは西股氏の考証による復元。
武田方が徳川軍を迎え撃つ直前を想定し、逆茂木を多数並べている。

314  高天神城の戦い

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『覇王家康』

高天神城は、武田氏が遠江支配の拠点としていた。
ここでは、武田方が籠城する城を、徳川軍が囲んだ様子を想定。
長篠合戦後、劣勢になった武田方は城を後詰することができず、城は壮絶な最後を遂げた。

254 高天神城

戦国時代 考証 関口宏行 1998年 『歴史群像 36 秋冬号』

遠江を代表する山城。
武田氏と徳川氏が激しく戦ったことで知られる。
谷を挟んで2つの城が連結したような縄張りは、「一城別郭」の好例と言われている。

281 今川義元館

戦国時代 考証 前田利久 1997年『歴史群像シリーズ 50 戦国合戦大全』上巻

守護大名の居館にふさわしい建物と、庭園を備えていた。
背後の山は富士山。
手前の土塁は、一部切り取って建物を見せている。
周囲も含めた鳥瞰は 252で描いた。

252 今川義元館鳥瞰

戦国時代 考証 前田利久 1997年『歴史群像シリーズ 50 戦国合戦大全』上巻

今川義元の館は、守護大名の格式を備えた「方形館」と呼ばれる四角いプランの平城。
城下集落や、それを囲む総構えもあったと思われる。

251  狩野城

戦国時代 考証 西股総生 2014年 『歴史群像 125 6月号』

伊豆の修善寺温泉近くに築かれた山城。
大規模な堀切と、トーチカ的な曲輪を備えた堅固な構造が特徴。

249  韮山城

戦国時代 考証 中井均 2002年 『歴史群像 53 6月号』

北条氏(後北条氏)の始祖、北条早雲の城。
イラストは、豊臣秀吉の北条攻めで、城が包囲された状況を想定。
周辺の山上には陣城が造られ、平地では土塁などが城を囲んだと推定されている。