853 馬伏塚城

安土桃山時代 考証 加藤理文 2020年 『歴史群像 162 8月号』

馬伏塚城(まむしづかじょう)は、現在の袋井市にあった平城。徳川家康が出撃基地として用い、特に高天神城攻めで活躍したと推定される。
現在は内陸だが、戦国期にはラグーンが深く伸びて城に達していた。遠江(静岡県西部)の沿岸には多数のラグーンが発達し、左上遠方の横須賀城や、高天神城もラグーンを利用した水運の基地となっていた。

830 丸子城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

静岡市の西部に遺構がある山城。元は今川氏の城だが、武田氏が駿河に侵攻した際、前線の拠点として改修した。二重の横堀や丸馬出など、発達した武田流の築城術を駆使した城とされる。

2028 朝比奈城

戦国時代 考証 関口宏行 2018年 藤枝市蔵

藤枝市の山城で、駿河の朝比奈氏の詰城とされる。現地で城址とされている場所は、陣所跡の可能性はあるが城跡として不明瞭。イラスト化したのは、それとは別の尾根の先端部で、堀切や虎口跡が明瞭に残されている。
地元の城郭研究家、関口氏の研究で認知された城址で、関口氏の案内で現地調査して描いた。

2029 花倉城

戦国時代 考証 関口宏行 2018年 藤枝市蔵

守護大名今川氏の跡目争い「花倉の乱」の舞台として知られる山城。玄広恵探が篭った花倉城の籠城戦が、乱の最後の戦いとなった。これに勝利して恵探を滅ぼした今川義元は、大大名に成長する地盤を固めた。

2036 諏訪原城

戦国時代 2019年 考証 香川元太郎 個人蔵

諏訪原城は、牧之原台地の一画を利用して築かれた 武田勝頼の前線基地。その後、徳川家康が奪取し、牧野城と名付けて改修を施した。
796と同じアングルから見ているが、2018年までの調査を反映させて、牧野城の最後の姿を推定した。

818 山中城

戦国時代 考証 加藤理文 2017年 学研「山城ガイド」

羽柴(豊臣)秀吉による小田原攻めの際、北条方の最前線基地として、東海道を塞ぐように築城された。
障子堀が多用され、北条流築城の粋を集めた城だったが、豊臣方は圧倒的な大軍で、激戦の末1日で落城した。

783  駿府城

江戸時代 考証 加藤理文 2015年 『歴史群像 129 2月号』

徳川家康が隠居城として築いた。
四角い縄張りの平城で、近世城郭の完成形と言える。
天守の大きさも屈指の規模だった。

796 諏訪原城

江戸時代 考証 香川元太郎 2016年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

牧ノ原台地上にある戦国城郭。
武田勝頼の前線基地だったが、長篠合戦の後、徳川家康が攻め落とす。
徳川氏のもとで牧野城と名を変え、外郭の曲輪等も増設された。
イラストは徳川期を想定。
815では逆のアングルから見ている。

2030 諏訪原城

戦国時代 考証 加藤理文 2017年 歴史群像 146 12月号 加筆2018 島田市蔵

諏訪原城は牧之原台地の縁に武田氏が築城した。
東の斜面から見ると山城だが、このように西の台地側から見ると平城的。
遠景に大井川を入れて描いた。
徳川氏による増設が完成し、家康が見分に訪れた状況を想定。
発掘調査で、大規模な三日月堀も徳川時代の工事によるものと推定された。

322  諏訪原城

戦国時代 考証 中井均 2001年 学研『戦国の堅城』

武田勝頼が遠江進行の前線基地として築城。
のちに徳川氏が攻め落とし、牧之原城と名付けて改修した。
イラストは武田時代を想定した復元。
その後の発掘調査で、大型の丸馬出しは徳川氏の構築と判断されたが、武田時代から馬出が存在した可能性もある。

305  下田城

戦国時代 考証 樋口隆晴 2012年 『歴史群像 114 8月号』

北条氏の水軍の根拠地。
下田港を見下ろす山の上に造られている。
畝堀(障子堀)を備えた長い横堀があり、北条氏の発達した城造りを見ることができる。

258  丸子城

戦国時代 考証 西股総生 2006年 『歴史群像 76 4月号』

今川氏配下の城だったが、のちに武田氏の城となり、武田の重臣山県昌景も城主となった。
武田氏が築いた山城の傑作とされるが、丸馬出しは、徳川氏の増設との説もある。

257 長浜城

戦国時代 考証 西股総生 2007年 『歴史群像 84 8月号』

海に突き出た山を要塞化した城。
伊豆半島西岸にあり、北条氏水軍の前線基地。
軍港も備えていたと推定される。

317  高天神城

戦国時代 考証 西股総生 2010年 『歴史群像 104 12月号』

遠江の山城で、武田氏と徳川氏が争奪戦を繰り広げた。
254,314でも描いたが、このイラストは西股氏の考証による復元。
武田方が徳川軍を迎え撃つ直前を想定し、逆茂木を多数並べている。

314  高天神城の戦い

戦国時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社『覇王家康』

高天神城は、武田氏が遠江支配の拠点としていた。
ここでは、武田方が籠城する城を、徳川軍が囲んだ様子を想定。
長篠合戦後、劣勢になった武田方は城を後詰することができず、城は壮絶な最後を遂げた。