803  田中城

江戸時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

武田氏の遠江進出作戦で、本陣的な役割を果たした。
その後、徳川氏が奪取。
徳川氏によって外堀が造られ、江戸時代の間も城は存続した。
日本の城の中でも、最も丸い縄張りの城。
現在、堀はすべて失われている。

2082 田中城

戦国時代 考証 香川元太郎 2004年 学研『戦国の堅城』藤枝市郷土博物館蔵

藤枝の平城で、始めは今川氏によって築城され、武田氏によって整備された。
虎口に丸馬出しを多用するところも、武田流とされる。
イラストは武田時代を想定。
江戸時代の状況は、803に描いた。

225 二俣城

戦国時代 考証 加藤理文 2003年『歴史群像 59』

天竜川と二俣川に挟まれた天険を利用した城で、武田、徳川軍が激しい攻防戦を繰り広げた。
天竜川に突き出ているのは、川から直接水が汲めたという水の手櫓で、籠城戦で焦点となった。

824 若神子城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

武田氏の先祖ゆかりの城。
本能寺の変後、旧武田領に侵攻した北条氏と徳川氏が争った天正壬午の乱では、北条氏直の本陣が置かれた。
北と南の出城は、この時に築かれた陣城と思われる。

789 新府城

戦国時代 考証 西股総生  2016年『歴史群像 135』

武田勝頼が躑躅ヶ崎館に代わる本拠として築城。
高い台地上の丘陵部を利用しており、下には「七里岩」と呼ばれる断崖がそびえている。
武田氏滅亡後は、徳川氏の配下となった。

323  能見長塁

戦国時代 考証 西股総生 2006年『歴史群像 79』

「能見城」とも言う。武田勝頼の新府城がある台地上を遮断する長塁。
新府城攻めの陣城とも考えられる。
ここでは、天正壬午の乱の際、新府に入った徳川家康が、若神子城に入った北条氏に対抗するために築いたと想定。

277 御坂城

戦国時代 考証 西股総生 2008年『歴史群像 90 』

武田氏の築城による大規模な山城。
本能寺の変の後、北条氏と徳川氏が甲斐の領有を争った天正壬午の乱では、北条氏が前線基地とした。
街道の峠をまたぐように造られ、戦国の城の中でも極めて標高が高い。

822 躑躅ヶ崎館

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

武田氏の本城として有名。
何度も改修や増設が行われたことがわかっており、最末期(豊臣政権時代)の状態を描いた。
奥に見える山城が詰城の要害山城。

244 躑躅ヶ崎館

戦国時代 考証 佐々木満 2007年『歴史群像 81』

「武田館」とも呼ばれる武田氏の本拠。
武田信玄時代を想定している。
戦国時代の代表的な平城で、勝頼時代にはさらに曲輪が増設された。

832 小机城

戦国時代 考証 西股総生 2018年『歴史群像 149 』

小机城は、戦国時代に北条氏の拠点の一つだった。
南東から見ており、上を流れるのは鶴見川。
西股総生氏による復元案で、巨大な空堀が、当時は障子堀だったと推定。

816 小机城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

小机城は横浜市港北区の戦国城郭で、玉縄城と同様に、北条氏の拠点城郭のひとつ。
2つの中心曲輪と、それを囲む大規模な空堀が特徴。
北東から見ており、832よりも現状の遺構に即した復元案。

805 玉縄城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

玉縄城は、鎌倉近くに築かれた北条氏の拠点城郭。
地質は鎌倉に似ており、複雑に谷戸が入り込んでいる。
801とほぼ同じ内容を、別角度から描いた。

801  玉縄城

戦国時代 考証 坂井尚登 2017年 『歴史群像 142』

北条氏の拠点城郭の一つ。
すり鉢状の地形を中心にした独特の縄張りが特徴。
ここを本拠とした玉縄衆は、北条軍の中でも特に精鋭として知られていた。
坂井尚登氏の復元案。

776  津久井城

戦国時代 考証 西股総生 2014年『歴史群像 127』

北条氏による築城で、山頂の曲輪には石垣が使われている。
関東では珍しい畝状竪堀の遺構もある。
現在、山裾の川はダムが設けられて湖となっている。

430  横浜港

明治時代 考証 香川元太郎 2007年 帝国書院『アドバンス中学歴史資料』

横浜はもともと河口に発達した砂州で、開港当初は堀で外から切り離された島となっていた。
イラストは明治中期の状況で、中央の公園が現在の横浜スタジアム。道路が斜めになった地域が中華街。
手前の堤防は「象の鼻」と呼ばれ、大桟橋の根元に当たるが、2009年に明治期の形が復元された。