162 江戸城 寛永期天守と北桔橋門

江戸時代 考証 香川元太郎 1994年 学研『名城の天守総覧』

三代将軍家光時代の寛永期天守を北から見る。
江戸城では、家康、秀忠、家光と将軍が代替わりするたびに、新しい天守が建造された。
寛永期天守も当時日本一大きい天守だったが、江戸の町を火の海にしたという明暦の大火で、御殿などと共に焼失。
その後天守は再建されなかった。

161 江戸城主要部

江戸時代 考証 原史彦 2003年 朝日ビジュアルシリーズ『日本遺産』45東京の歴史散歩 2019年加筆

北西から見た寛永期江戸城の主要部。
手前左が、現在武道館などがある北の丸。
千鳥ヶ淵を挟んで手前右が西の丸。
寛永期まではここに御三家の屋敷があった。

160 江戸城 寛永期本丸御殿

江戸時代 考証 香川元太郎

江戸城で儀式の中心となった表御殿を、屋根を取り除いて描いている。
左端の長い廊下が、忠臣蔵で有名な松の廊下。
左上の塀の上には、広大な大奥が広がっていた。

158 江戸城 寛永期天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

西から見た寛永期天守。
江戸城には、家康時代にも秀忠時代にもそれぞれ天守があったとされるが、確実な資料が残り、ほぼ正確に復元できるのは寛永期天守だけ。

155 江戸城 寛永期天守断面

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

江戸城寛永期天守は、柱を描いた立面図もあり、内部構造も概ね分かっている。
外観と同じ5階建て(地下を含めて6階)のシンプルな構造だが、各階の天井が非常に高い。
当時、世界最大の木造建築だったと思われる。

154 江戸城本丸と二の丸

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年 PHP研究所 歴史街道スペシャル『名城を歩く』24

東から見た寛永期の本丸と二の丸。
儀式や政治の場であった本丸御殿に対し、二の丸御殿は庭も広く風雅な造りとなっていた。

153 江戸城鳥瞰

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

南から見た江戸の全体像。
築城工事は家康時代から断続的に行われ、三代将軍家光時代(寛永期)に完成した。
町全体を囲む惣構えは日本の城の中で最も大きい。

835 杉山城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

武蔵松山城と鉢形城のほぼ中間にある。
城址はよく保存されており、城としての完成度も高い。
しかし明確な文献資料はなく、築城者についても諸説論争がある。
321とほぼ同じ考証内容で、角度を変えて描いた。

838 岩槻城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018月 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

川の蛇行地にあり、池と湿地が城を囲んでいる。
813の忍城と同様、関東の低地に見られる水城。
戦国時代に築城され、その縄張りを引き継ぎながら江戸時代に存続したのも、忍城と共通。
イラストは、豊臣秀吉の北条攻めに備えて、総構えが造られた頃を想定している。

813 忍城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所

戦国時代、成田氏によって築城された水郷地帯の水城で、石田三成の水攻めにも耐えた。
その後、忍城は近世城郭として改修され、江戸時代にも存続した。
イラストは、天正期の図の写しとされる絵図を中心資料に、戦国期の状況を描いている。
当時は江戸期よりも水堀(湿地を含む)が広かったと推定される。

812 柏原城

戦国時代 考証 西股総生 2017年『歴史群像 145』

狭山市の小規模な戦国城郭。
入間川の段丘に作られた城で、敵に横矢をかける土塁の張り出しが注目される。
河越夜戦直前に、上杉氏が築城したと想定。

787 熊倉城

戦国時代 考証 西股総生 2015年『歴史群像 133』

秩父の奥、荒川上流を望む城。
戦国時代前期に長尾景春が関東管領の上杉氏に反旗を翻した際、その拠点として築城したと考えられる。

321 杉山城

戦国時代 考証 西股総生 2003年『歴史群像 61 』

関東の代表的な戦国城郭の一つ。
835でも別の角度から描いている。
横矢がかりを多用したテクニカルな縄張りは、土の城の完成形のひとつとされる。
しかし文献資料がほとんどなく、築城者について諸説論争がある。

295 虎ヶ岡城

戦国時代 考証 西股総生 2012年『歴史群像 112』

荒川沿いの山上にあり、鉢形城(寄居)の支城のひとつ。
一部には石垣もある。

288 腰越城

戦国時代 考証 西股総生 2010年『歴史群像 101』

史料が少ない城で、武蔵松山城の支城の可能性あり。
戦国時代の山城の発達した防衛戦術を見る事ができる。