754 稜堡をめぐる攻防

17世紀 フランス 考証 今村伸哉 1995年『歴史群像 19 6月号』

稜堡は、近世ヨーロッパで発達した城。
城壁のすべての場所に十字砲火が与えられるように、という発想からギザギザの城壁が工夫された。
そのシステムの確立者、フランスのヴォ―バンは、塹壕を駆使してその城壁を攻める方法論も完成させた。
イラストはヴォ―バンが手掛けた城郭都市ヌフ・ブリザックをモデルに、ヴォ―バンの攻城法も描いた。

627 アテナイ

BC5世紀 ギリシャ 考証 香川元太郎 1999年『歴史群像 38 春夏号』

古代ギリシャのアテナイ(アテネ)は、パルテノン神殿のあるアクロポリスを中心にした都市(右上)だが、地中海貿易が盛んになると、港町ペイライエウス(左下)が発達した。
ここを基地としたのが、ギリシャ随一と言われたアテナイ海軍。
アテナイとスパルタが覇権を争った時期に、本市街とペイライエウスを結ぶ大城壁が完成した。

621 バイキングの航海

9世紀 ノルウェー 考証 香川元太郎 2002年 東京書籍『ニュークロノス図解世界史』

ノルマン人(バイキング)は8世紀頃から、新しい移住地を求めてヨーロッパ各地に遠征した。
バイキング船は発掘調査や復元が行われており、シンプルだが美しいフォルムで知られる。

618  ローマの攻城塔

1世紀前後 古代ローマ 考証 高橋正男 1992年『歴史群像 2 8月号』

古代ローマでは、攻城塔など城攻めの道具が生まれた。
その後、大砲が登場するまで、千年以上もほぼ同じ構造のものが使われていた。
イラストは、ユダヤ戦争でのマサダ要塞の攻防を想定したもの。

612 パリ

16世紀 フランス 考証 香川元太郎 1999年 『歴史群像 40 秋冬号』

百年戦争の後、フランスの首都として発達したパリの様子を、古地図から復元。
中央がノートルダム聖堂のあるシテ島で、広大な街が城壁によって囲まれ、いくつかの王城や宮殿も存在する。
中央上には、当時は城として使われ、のちに牢獄に利用されるバスチーユ城もある。

605 レパント海戦軍装

16世紀 考証 三浦権利 1993年 『歴史群像 5 2月号』

レパントの海戦は、1571年にスペインを中心とする西洋軍と、オスマン帝国の間で行われた大海戦。
西洋軍が勝利し、オスマン帝国の優位が揺らぐきっかけとなった。
左は、軽装のオスマン軍、右は鉄の甲冑を用いた西洋軍。

604 ハドリアヌス・ ウォールの門

2世紀 スコットランド 考証 香川元太郎 2007年『歴史群像シリーズ図説 激闘ローマ戦記』

ハドリアヌス・ウォールはローマ帝国時代、現在のイギリスに築かれた長城。
城壁の門は、内側に馬出し状の小曲輪を備えた二重構造で、門の上には小塔が設けられたと思われる。
後の中世ヨーロッパで発達した城も、これらローマ時代の築城法が基礎になっていた。

603 ハドリアヌス・ウォール

2世紀 スコットランド 

ローマ帝国の全盛期(2世紀)ハドリアヌス帝は、それまでの拡大戦略から、国土防衛重視に戦略を転じ、辺境の各地で城壁を築いた。
中でもスコットランドの城壁は全長120㎞の長城で、小塔や砦が点々と置かれて、北方民族の侵入を防いでいた。

601 シェル・キープ

中世ヨーロッパ 考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像 18 4月号』

中世ヨーロッパの城の初期の形の一つ。
木造建物が石造りの城壁で囲まれたもの。
この城壁が高くなって2階が造られ、全体に屋根が掛かれば中世の城の塔やキープとなる。
城壁に沿って建つ木造建物は、後の時代の城でもよく見られる。

602 モット&ベイリー

中世ヨーロッパ 考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像 18 4月号』

中世ヨーロッパの城の原点の一つとされる、ノルマン人(バイキング)が用いた城の模式図。
595も同形式で、細かい部分が異なるパターン。
ロンドン塔も、ノルマン出身のウイリアム征服王が最初に築いた城は、モット&ベイリーだったとされる。

595 モット&ベイリー

中世ヨーロッパ 考証 香川元太郎 1993年『歴史群像 6 4月号』

ノルマン人が古くから用いた素朴な城。
「モット」は土盛りのことで、城主の住む「キープ」が建てられた。
これが本丸とすると、二の丸に当たるのが「ベイリー」。
この形式に、ローマの石積み技術を取り入れる事で、中世ヨーロッパの城が生まれたと言われる。

599 ロンドン塔

14世紀 イギリス 考証 香川元太郎 1995年『歴史群像 21 10月号』

11世紀にウイリアム征服王が、イングランドの王に即位して築いた城。
ウイリアム2世の時代に完成したキープが「ホワイト・タワー」または「タワー・オブ・ロンドン」と呼ばれた事から、それが城全体の呼び名になった。
その後周りの城壁も度々増築され、14世紀にはイラストのような姿になった。

598 カルカソンヌ

中世 フランス 考証 香川元太郎 1995年『歴史群像 21 10月号』

ローマ時代から中世にかけて造られた城郭都市で、街を含む外郭と領主の城となる内郭からなっている。
現在のカルカソンヌは19世紀の復元建築が含まれるものの、中世の城郭都市を現代に残す貴重な遺構。

594 ヨーロッパ 中世の城

中世ヨーロッパ 考証 今村伸哉 1995年『歴史群像 18 4月号』

中世の城に見られる様々な構造物を集めた架空の城。
内部に部屋を持つ塔を、城壁で結ぶのが典型的な築城のパターンで、外郭と内郭の二重構造になるものも多い。
中心の塔は、城主の館でもあるキープ。
建物は石だけで造られるのではなく、内部の床や屋根、張り出し歩廊などは木造になることが多い。
門には、よく跳ね橋などの仕掛けが設けられた。
このような城を当時の武器で攻め落とすのは難しく、トンネル戦法が最も有効な攻城法だったとされる。

580 マルテロ塔

9世紀 イギリス 考証 今村伸哉 1995年 『歴史群像 20 8月号』

近世~近代のヨーロッパでは、大砲の威力が向上し、城壁での小銃の攻防を重視した陵堡式築城は次第に時代遅れとなってきた。
守るべき都市などが、遠くからの砲撃で破壊されるのを防ぐには、都市に敵の大砲を近づけないよう、郊外に小要塞や砲台を点在させるプランが重要になった。
イラストはイギリスの海岸に設けられた砲台で、これが100以上造られた。