313 大島城

戦国時代 考証 西股総生 2003年 『歴史群像 58 4月号』

伊那大島城は、武田氏の重要拠点となった戦国城郭。
天竜川に面した台地上にあり、深い空堀を持つ。
武田氏の築城の特徴とされる丸馬出も見られる。

311 川中島

戦国時代 考証 三島正之 2008年 『歴史群像 92 12月号』

善光寺の南に広がる川中島は、武田信玄と上杉謙信が十余年争った戦場として知られる。
その周辺には双方が多くの城を築いていた。

289 旭山城

戦国時代 考証 三島正之 2007年 『歴史群像 86 12月号』

旭山城は、川中島を見下ろす山城の中でも大規模なもの。
武田方が築城したもので、上杉方の葛山城(左上)に対峙していた。
右上の平地には善光寺が見える。

303 戸石城

戦国時代 考証 宮坂武男 和根崎剛 2000年 歴史群像シリーズ[戦国]セレクション『奮迅真田幸村』

村上義清の城で、若き日の武田信玄を敗走させたことで有名。
しかしその後、武田氏の配下に入った真田幸綱が調略を用いて手に入れた。

302 真田本城

戦国時代 考証 宮坂武男 和根崎剛 2000年 歴史群像シリーズ[戦国]セレクション『奮迅真田幸村』

小県(ちいさがた)にあった戦国城郭で、国人領主だった真田氏の城。
一度城を追われていた武田幸綱が、武田氏のもとで奪回したとされる。

814 上田城主要部

安土桃山時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

千曲川に面した断崖上の城で、江戸時代の櫓が現存する。
智将、真田昌幸の城として知られ、徳川方の大軍を2度も撃退した。
168とほぼ同じ角度から見ているが、曲輪の形や千曲川の流路など、考証し直して描いている。

794 上田城主要部

安土桃山時代 考証 加藤理文 2016年 『歴史群像 139 10月号』

真田氏の本拠として知られる、安土桃山時代の上田城。
814、168のイラストと同じく、第二次上田合戦時を想定。
江戸時代の上田城とは違う点もあり、加藤理文氏の考証で推定復元。
一見、イラストが歪んで見えるのは、堀や道が平行ではないため。

168 上田城

安土桃山時代 考証 香川元太郎 2001年 歴史群像シリーズ『図説戦国合戦集』 2024年修正

智将、真田昌幸の城として知られ、徳川方の大軍を2度も撃退した。
イラストはその2回目、 第二次上田合戦を想定している。
真田軍は、左上に見える戸石城や、790の丸子城なども連携して、 関ヶ原に向かう徳川秀忠の大軍を翻弄した。

174 松本城天守

江戸時代 考証 香川元太郎 1995年 世界文化社『日本の城』

現存する天守で、姫路城、彦根城、犬山城、松江城の天守とともに、国宝に指定されている。
天守台には建物の重みを支えるための丸太が埋め込まれていた。手前は月見櫓で、その横には船で堀へ漕ぎ出すための門もあった。

172 松本城鳥瞰

江戸時代 考証 香川元太郎 2003年 PHP研究所 『名城を歩く』7

現在の城跡公園は本丸と二の丸だが、かつてはその外側に三の丸が広がっていた。
深志城と呼ばれた戦国時代の縄張りを踏襲しており、虎口を守る馬出しに武田氏の築城法を見ることができる。

166 松本城 創建時天守

江戸時代 考証 西ヶ谷恭弘 2003年  PHP研究所『名城を歩く』7

現存する松本城天守だが、解体工事の結果、当初は最上階に廻り縁があったと推定された。
破風の形も現在と違いがあった。
本丸がある東北側から見ており、反対側の面は163に描いている。

165 松本城の堀

江戸時代 考証 香川元太郎 1995年 世界文化社

松本城天守前の堀の断面。
堀は広いが案外浅い。
中央の埋門には、現在赤い橋が架けられているが、江戸時代に橋はなかった。
右下は天守石垣を支える地業の様子。
石垣がずれないよう、梯子胴木が用いられている。

164 松本城 折塀

江戸時代 考証 香川元太郎 1995年 世界文化社

二の丸、三の丸で多用されていた塀で、敵に横矢をかけるための工夫。
松本城では、2種類のパターンが併用された。

163 松本城 創建時天守

江戸時代 考証 西ヶ谷恭弘 2003年  PHP研究所 『名城を歩く』7

創建時の松本城天守を、南西側から見る。
解体修理から推定された破風を描いており、反対側の面は166に示している。
その後、天守の右側に付櫓と月見櫓が増築された。

471 吉崎御坊

戦国時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『ビッグマンスペシャル 浄土と地獄』

戦国時代、北陸の一向宗の中心となった寺内町。
1世紀もの間、戦国大名の支配を排して一向一揆を継続させ、独立国的な存在となっていた。