847 小野路城

戦国時代 考証 西股総生 2019/8 『歴史群像 157 10月号』

町田市の丘陵地帯に城址が残る。戦国時代前期の城で、太田道灌が長尾景春の乱の際に前線基地として築城したとの推定。
復元設定の季節が春だったので、関東の丘陵地で現在もよく見かける山桜や、ミツバツツジ、ヤマブキなども描き入れている。

795 滝山城

戦国時代 考証 香川元太郎 2016年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

東京を代表する戦国の城。
北条氏が武蔵地方の拠点としていた。
空堀と土塁を組み合わせ、角馬出と横矢がかりを多用する北条流縄張りの例。

742 葛西城

戦国時代 考証 西ヶ谷恭弘 1990年 『東京の一万年 上巻』

中央の館を中心に発達した、戦国時代の平城の典型例。
川と低湿地を利用した水堀で、防備を固めていた。
第一次国府台合戦で北条方の出撃基地となり、その際の状況を想定している。

467 江戸の裏長屋

江戸時代 考証 香川元太郎2002年 あすなろ書房 『衣食住に見る日本人の歴史4』

裏長屋は、表通りの商家が大家となり、裏の敷地に設けるのが典型。
狭い路地の中には、共同井戸や便所、稲荷神社などもあった。
左が、特に狭くて風通しも悪い棟割長屋で、独り者の男が住む例が多かった。

466 参勤交代の大名行列

江戸時代 考証 原史彦 2007年 朝日ビジュアルシリーズ『週間 藤沢周平の世界』17

大名行列が江戸の町に差し掛かった所を想定。
領地を出る際には必ずしも大行列ではなかったが、江戸に入る時には臨時雇いで人数をそろえ、体裁を整えることも多かったという。

440 新宿の闇市

昭和時代 考証 小林克 2005年 『歴史群像シリーズ 79 実録日本占領』

闇市は、戦後の焼け跡で自然発生したが、やがてテキヤなどが仕切るようになる。イラストに描いた新宿東口和田組マーケットのように、整理された商店街も現れた。
5年ほど活況を呈したが、GHQの圧力で解体された。

432 鹿鳴館

明治時代 考証 香川元太郎 1997年 『分解図鑑 日本の建造物』

鹿鳴館は、文明開化の象徴として有名。ヨーロッパ式の舞踏会などが開かれた。
しかし、その存続時期は意外に短い。
イラストでは、内部構造を細かく割って見せた。

429 後楽園球場

昭和時代 考証 香川元太郎 2009年 週間朝日百科『週間 昭和』32 昭和51年

ドーム化される以前の球場で、王貞治がホームラン数の世界新記録を達成した際の状況を、可能な限り再現した。

427 昭和42年頃のオフィス

昭和時代 考証 小泉和子 2009年 週間朝日百科『週間 昭和』17 昭和42年

右の新聞社では伝書鳩が使われ、鉛筆削りのアルバイト学生もいる。
部屋にはタバコの煙が立ちこめ、屋上で弁当を食べたり、バレーボールに興じるなど、昭和のサラリーマンの典型的な様子を描いた。
左の商社では、テレックスの紙テープが床に渦を巻いている。

426 銀座ACB

昭和時代 考証 岐部一夫 2009年 週間朝日百科『週間 昭和』14 昭和46年

銀座ACB(ぎんざアシベ)は、昭和40年代に一斉を風靡したジャズ喫茶。
グループ・サウンズやアイドル歌手のステージも行われ、熱狂的なファンが詰めかけた。
もともと大量の観客が入ることは想定されておらず、二階の手すりが壊れて客が落ちる事故もあったという。

375 品川沖台場の配置

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

ペリーの来航以降、外国船の脅威を感じた幕府は、江戸の海上で敵船を迎えうつための海上台場を5つ設置した。
計画された海上台場は11基で、その半分しか完成しなかったが、御殿山下などの海岸台場と合わせて、江戸湾の防衛網を形成した。
現在の「お台場」もこの周辺を埋め立てて造られた地域。

374 品川沖台場 第一台場

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

江戸湾海上の台場のうち、最も西に位置したもの。直接波を受ける土台は緻密な石垣造りで、上部は砲撃のダメージを受けにくい土塁造り。
大砲での攻防を重視した構造は、当時の先端的な築城だった。

296 八王子城(裏)

戦国時代 考証 西股総生 2013年 『歴史群像 117 2月号』

北条氏が、豊臣秀吉の進行を防ぐために整備した大規模な山城。
豊臣方の大軍によって一日で落城した。
245でも描いたが、それとは異なる西股氏の復原案をイラスト化。
当時は、現在観察される以上に石垣が多用されたと推定。
搦手とされる西側から見ているが、豊臣軍は西から攻めてきたので、西側に防御の重点が置かれていたとも考えられる。

245 八王子城

戦国時代 考証 香川元太郎 2000年『日本人は石で何を作ってきたか』

八王子城は、東京で最も大規模な山城で、谷の居館群と山上の曲輪、それらを囲む尾根上の出城群からなる。
現在は、居館跡に大規模な石垣が復元されている。
イラストは居館がある西側から見ており、通常の城ではこちらが表側。
推定復元が多い 296の案に対して、現状の遺構を踏襲した復元案。

239 深大寺城

戦国時代 考証 西股総生 2008年 『歴史群像 88  4月号』

現在の神代植物園に隣接した戦国城郭で、堀の一部が残る。
関東によく見られる、舌状台地の先端の城。
北条氏の関東支配が進んだ頃には、使われなくなったと思われる。